東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
ニース・エズ(フランス)とモナコ大公国の旅
+ロンドン (2002年2月)
ニースの歴史
(コート・ダジュール、フランス)
- 紀元前18-6世紀、リグリア人が定着していた。
- 紀元前6-4世紀、ギリシャ人がニースに貿易の拠点を築いていた。
当時のニースは、ニカイアと呼ばれていた。その語源は勝利の女神ニケにあるらしい。
- 紀元前118年、イタリアのローマを発してガリアに進出し始めていた古代ローマ帝国によってガリアに属州(プロヴィンキア)が設置された。
- 紀元前49年、古代ローマのカエサル(シーザー)によるガリア征服。
- 紀元前14年、反乱を起こしたリグリア人が、古代ローマ皇帝アウグストゥスに敗れた。
- 西暦5世紀、古代ローマによる支配が崩壊し、コート・ダジュールはヴァンダル族、西ゴート族、ブルグンド族、東ゴート族、フランク族による侵入を受けた。
- 536年、コート・ダジュールにフランク族の支配が確立した。
- 8世紀、南仏がイスラム教徒による侵攻を受けた。コート・ダジュール地方では、山上に村々が築かれた。(「岩山の上の鷲の巣村エズの歴史」を参照。)
- 10世紀末、コート・ダジュールからイスラム教徒勢力が駆逐された。
- 1032年、コート・ダジュール地方は神聖ローマ帝国に帰属することとなった。
- 1246年、アンジュー家のシャルルがプロヴァンス伯となり、コート・ダジュールはアンジュー家の支配下に入った。
- 1348年、コート・ダジュール地方をペストが襲った。
- 1388年、ニースはサヴォイ公家(後にサルディニア王家、更には統一イタリア王家)の領地となった。
- 1481年、プロヴァンス伯シャルルによって、南仏一帯がフランス王ルイ11世に譲渡された。
- 1543年、サヴォイ公家支配下のニースが、フランス王フランソワ1世の軍と海賊バルバロッサ指揮下のトルコ海軍によって攻囲された。しかし、ニースは陥落することなく、フランス・トルコ同盟軍は軍を退いた。(その後、バルバロッサ指揮下のトルコ海軍は、イタリア西岸にあるアマルフィなどの街を襲いながら帰還していった。)
- 1691年、太陽王ルイ14世治下のフランスによってニースが占領された。
- 1715年、スペイン継承戦争の後、フランスによって占領されていたニースがサヴォイ公家に返還された。
- 1793年、フランス革命政府軍によってニースが占領された。
- 1814年、ナポレオン後のヨーロッパのついて議論したウィーン会議の結果、革命フランス軍によって占領されていたニースがサヴォイ公家に返還された。
- 1820年、ニースの海岸通(プロムナード・デ・ザングレ)が建設された。
- 1860年、イタリア統一の為にナポレオン3世治下のフランスとの同盟を必要としていたサルディニア王家(かつてのサヴォイ公家)によって、ニース及び周辺の地域がフランスに譲渡された。
- 1864年、パリから延びる鉄道網がニースまで到達した。
- 1913年、ニースの海岸通(プロムナード・デ・ザングレ)にネグレスコ・ホテルが建設された。(下の画像は、現在のニースの海岸通。)
- 1966年、シャガールが多くの絵をフランスに寄贈した。その絵を中心に、ニースにシャガール美術館が建設された。
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