東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヨークと泉の修道院(イギリス)

参考. ヨークの修道院の歴史(ノルマン・コンクエスト以後)

ヴァイキングによる修道院の略奪・破壊

  • 7世紀から8世紀にかけて、ヨークシャー地方には多くの修道院が設立された。

  • しかし、9世紀にヨークシャー付近を支配下に置いたデーン人(デーン地方出身のヴァイキングの一派)は、古来よりの独自の宗教を信じており、キリスト教の修道院を略奪・破壊してしまった。

ノルマン人による修道院の再建

  • 1066年にイングランドの王位を得た征服王ウィリアム1世は、臣従を拒否していたヨーク近辺のデーン系(ヴァイキング系)貴族を打ち破り、その土地をノルマン系貴族たちに与えた。

    デーン人と同じくノルマンの血をひきながらも、長くフランス北部に定住していたノルマン人たちはキリスト教に対する信仰心が篤く、荒れ果てたヨークシャーの修道院の復興に貢献した。

    ヨークの城壁の外に遺跡を残すセント・メアリーズ修道院(アビー)は、ノルマン系の貴族たちがベネディクト派の修道士達のために設立した修道院だった。

修道院の腐敗と改革

  • しかし、12世紀の前半には、セント・メアリーズ修道院(アビー)に於いて、内紛が起こった。

    6世紀の聖ベネディクトに始まるベネディクト派修道院もこの頃には規律が緩んでおり、かつての純粋な姿勢を取り戻そうという改革派と、現状を維持しようという守旧派との間に対立が生じたらしい。

  • 1132年10月、指導者リチャードを中心とする13人の改革派修道士達が、セント・メアリーズ修道院(アビー)から追放された。彼らに同情するヨーク大司教トルスタンは、彼らをリポンの街に保護した。

新しい修道院 ファウンテンズ・アビー

  • その年の12月、13人の修道士達はリッポンの街からスケル川をさかのぼること 3マイル(約 5km)の谷間の土地に、新しい修道院の建設を始めた。

    その土地には、いくつかの泉が湧いていた。故に新しい修道院は、「セント・メアリー オブ ファウンティンズ」修道院と名づけられた。即ち、ファウンテンズ修道院(アビー)である。

    ファウンティンズ・アビーの戒律
    • 彼らの目標は、「キリストと同じくらいに貧しく暮らす」ことだった。
    • 下着を身に着けることは禁じられていた。
    • 羊毛から作る毛織物を衣服にしていたが、染色することは禁じられていた。
    • 静寂を守るために、身振りで会話を行っていた。
    • 生存のために最小限度に必要な食べ物だけが与えられた。

シトー派

  • しかし、翌1133年には、ファウンテンズ修道院の改革派修道士達はフランスを中心に多くの支持を集めていたシトー派修道院に支援を求めざるを得なくなった。

    彼らが新しい修道院を築いた場所は、「人ではなく獣が住むべき土地」と言われるほど耕作には不適切であり、外部の支援なくしては修道院を維持することさえ出来なかった。

    シトー派に属した結果、世俗修道士 Lay Brothersの制度が取り入れられ、修道院の財政状態は大幅に改善した。

    修道僧 Choir Monks と
    世俗修道士 Lay Brothers

    • 本来の修道士である Choir Monks は、祈りを以て神に捧げる。

    • 対して、Lay Brothers は、労働を以て神に捧げる。

      Lay Brothers は、羊の世話をし、建物の管理を行う。

      彼らの祈りの時間は短く、睡眠時間は長く、より多くの食料を与えられていた。

      しかし、彼らは Choir Monksと共に修道院の中で生活し、共に礼拝していた。

修道院の解散

  • 1539年、当時のファウンティンズ修道院(アビー)の修道院長ブラッドリー卿が、イングランド王ヘンリー8世の発した修道院解散の書類に署名し、ここにファウンテンズ修道院(アビー)は歴史の幕を閉じた。

    ローマ教皇と対立していたヘンリー8世にとっては、教皇に組みする修道院が国内にあることが政治的に脅威となっており、また修道院の財産が魅力的でもあった。

    書類にサインした修道院長ブラッドリー卿は、王室からの年金を受け取ることになった。

  • 1540年、ファウンティンズ修道院(アビー)の土地・建物は、王室によって商人サー・リチャード・グレシャムに売却された。

    その息子サー・トマスは、修道院の土地・建物をステファン・プロクターに売却。

    ステファン・プロクターは、修道院の建物から多くの石材を運び出し、ファウンティン・ホールを建設した。

  • 現在、修道院の廃墟もファウンティン・ホールも周囲の庭園も、ナショナル・トラストが管理している。

その他にも、イングランド王ヘンリー8世によって解散させられた修道院のうちで、代表的なものが以下かな。


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