東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ヨークと泉の修道院(イギリス)
ジョン失地王の息子 ヘンリー 3世
1207年、
プランタジネット朝
のイングランド王
ジョン失地王
の息子としてイングランドに生まれた。(
イングランドからピレネーにまで及ぶ帝国を築いたヘンリー2世
の孫にあたる。)
1216年、9歳にしてイングランド王に即位。当時、父親のジョン失地王に対する反乱が続き、フランス皇太子(後の
フランス王ルイ8世
)の軍が
ロンドン
を占領し、
ドーバー城を包囲
するという惨憺たる状況にあった。
1218年、
ウェールズ北部
にある
グウィネズ王国
と和平を結んだ。
1227年、イングランド王ヘンリー3世が親政を始めた。
1241年、イングランド王ヘンリー3世がウェールズ北部に侵攻。和平の際にグリフィズ王国の王子を人質とした。その人質の王子は1244年に
テムズ川
のほとりの
ロンドン塔
から脱出しようとして転落死。
1258年、無策と重税の結果、イングランドで反乱が起こった。
1264年、王の義理の兄弟でもあるシモン・ド・モンフォールが、王ヘンリー3世と皇太子エドワードを捕らえた。王は議会に対して改革を約束させられた。
1265年、皇太子エドワード(後に
ウェールズを支配
し、
スコットランドにも侵攻したイングランド王エドワード1世
)の軍がシモン・ド・モンフォールを撃ち破り、シモン・ド・モンフォールは殺された。
1272年、イングランド王ヘンリー3世が65歳で死去。
ヘンリー3世が残した建築物
ヘンリー3世は決して有能な王であったとは評価されていない。しかし、彼は多くの建築物を残している。
例えば、
ロンドン
の
ウェストミンスター寺院
を再建したのも彼だし、現在まで
クリフォード・タワー
を残すヨーク城を築いたのも彼だった。
「ヨーロッパ三昧」旅行記のインデックスへ
前のページに戻る
旅行記「ヨークと泉の修道院(イギリス)」の目次に戻る
ヨーロッパ三昧 トップ・ページ
ヨーロッパの歴史風景
このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。
このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「
ヨーロッパの歴史風景
」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。
Copyright (c) 2001-2013 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。