東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヨークと泉の修道院(イギリス)

08. クリフォード・タワー (ヨーク城の天守)

ヨーク市内でヴァイキング・センターとキャッスル・ミュージアム

さて旅の二日目、今日はヨーク市内の観光だ。ホテルからタクシーでヨーク市内に向かう。タクシーを降りたのはヴァイキング・センターの前。土曜日の朝だからか、既に観光客の行列ができている。ヴァイキング・センターはなかなか人気があるみたい。

そのヴァイキング・センターの展示内容なんだけど、ヴァイキング時代のヨークの街の再現と現代のヨークの地下に埋まる遺跡の発掘現場を再現したもの。ヨークの歴史はヴァイキングと深い関係にあるから、ヨークに来たならば見るべきものではある ・・・ かな。

10分ほど歩いて、やって来たのはキャッスル・ミュージアム。中には18-19世紀のヨークの街や暮らしが再現されていた。ヴィクトリア女王の時代のイギリスに興味があれば、面白いかもしれないね。

クリフォード・タワーはヨーク城の天守

続いてやってきたのは、下の画像にあるクリフォード・タワー。ヨーク城の天守あるいは本丸とでもいうべき建物かな。

ヨーク城の天守 クリフォード・タワー(イギリス)

このクリフォード・タワーは、見ても歩いても面白かったし、その歴史も興味深いんだ。

ヨーク城とクリフォード・タワーの歴史

このヨーク城とクリフォード・タワーの歴史がとっても興味深い。でも、細かく書くときりがないほど色々とあるから、ちょいとさわりだけをまとめてみた。

  • 西暦1068年、現在のクリフォード・タワーが立つモット(小丘)が、イングランド征服王ウィリアム1世によって築かれた。そこには木造の砦が建てられていたらしい。(後のイングランド王ヘンリー1世はこの年か翌年にヨーク近郊で生まれている。)

  • 西暦1190年、ヨークにおいてユダヤ人の大虐殺が起こり、その争乱の際にヨーク城の木造の天守が焼失した。でも、再び木造で天守が再建された

  • 西暦1228年、イングランド王ヘンリー3世のヨーク滞在中にヨーク城の天守が強風によって倒壊した。でも、天守は修復されなかった。

  • 西暦1244年、スコットランド軍がイングランドに侵攻する懸念が出てきた。イングランド王ヘンリー3世はヨーク城の再建を命じ、今に残る石造のクリフォード・タワーが築かれた。

  • 西暦1296年にスコットランドに攻め込んだイングランド王エドワード1世は、長年にわたってヨーク城に司令部を置いていた。その結果、首都ロンドンから多くの家臣や役所がヨーク城内に移って来ていたんだそうな。例えば、王室金庫はクリフォード・タワーにあったと。
実はまだまだクリフォード・タワーとヨーク城の歴史は続くんだけど、あまりに長くなりすぎるから、ここまでしておくかな。

クリフォード・タワーに登る

そんな長くて興味深い歴史を持つヨーク城の天守あるいは本丸のクリフォード・タワーに登ろう。

ヨーク城の天守 クリフォード・タワーに登る(イギリス)

今のクリフォード・タワーはイングリッシュ・ヘリテージが管理しているんだけど、一般にも公開されているんだ。

クリフォード・タワーの上にて

そして下の画像がクリフォード・タワーの上で撮影したもの。ヨークを広く見渡すことが出来るんだ。

ヨーク城の天守 クリフォード・タワーの上にて(イギリス)

この見晴らしの良いクリフォード・タワーなんだけど、この上から鎖で吊るされて処刑された人物もいる。あの悪名高いイングランド王ヘンリー8世による修道院解散に反対して反乱を起こした人々のリーダーだったロバート・アスクは、西暦1537年に王の命によってここで処刑されたんだそうな。

ちなみに、昨日の午後に歩き回ったファウンテンズ修道院(アビー)もイングランド王ヘンリー8世によって解散させられたんだ。


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