ヨーク市内のシャンブルズ通りは中世の面影ヨーク城のクリフォード・タワーもまさに中世の名残なんだけど、その他にもヨーク市内には中世の面影を残すものが多いんだ。
例えば、上の画像は見るからに中世をひきずるシャンブルズ通り。その歴史は14世紀まで遡ることが出来るらしい。かつてはこの通りに多くの肉屋さんが並んでいたんだそうな。
ヨークのシティ・ウォール(市壁)ヨーロッパの歴史のある街はシティ・ウォール(市壁)に囲まれていることが多いよね。イギリスでも、首都ロンドンにはロンドン・ウォールという市壁の遺跡がある。イングランド南部の中心都市カンタベリーにも市壁が残っているね。チェスターにもシティ・ウォールがある。そんなシティ・ウォール(市壁)は、この歴史あるヨークにも残っているんだ。
ヨークを取り囲むシティ・ウォール(市壁)の直径は 1kmほどなんだそうな。でも、全周では 4.5kmほどになるんだそうな。そのシティ・ウォールの上を歩いている様子が上の画像だ。もちろん、全周はしなかったけどね。
ヨークの城門 ミクルゲート・バーヨークを取り囲むシティ・ウォールには、いくつかの城門が残っている。その一つが下の画像にあるミクルゲート・バー。
この城門 ミクルゲート・バーに西暦1460年に首がさらされたことがあった。その首の持ち主だった人物の名前は、第3代ヨーク公リチャード・プランタジネット。
ちなみに、上に書いたヘンリー6世は、後にテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されて亡くなっている。その他にも多くの人々が悲劇の主人公となり、後のシェイクスピアに作品の題材を提供したというわけだね。
ついでながら、イギリスのばら戦争を集結させたのは、テューダー家のイングランド王ヘンリー7世だった。彼もヘンリー6世の後のヨーク家の時代にはウェールズ南部にあるペンブローク城で保護されたり、海外に亡命したり、苦労して生き延びた末に最後の勝利者になったんだね。
ヨークの城門 モンク・バーそして下の画像は、ヨーク・ミンスター(大聖堂)近くにあるモンク・バー。
城門の上の男たちが、石を投げ落とそうとしているのが見えるかな。中世にはこうしてヨークの街を守ったんだろうね。
ヨークをめぐる攻防このヨークはシティ・ウォールに取り囲まれ、バー(城門)で守られているんだけど、歴史上実際にヨークが攻められたことがある。例えば、西暦633年、ウェールズ北部のグウィネズ王国軍とマーシア軍が共にヨークを略奪したことがある。その頃のヨークにシティ・ウォールやバーがあったのかどうか、わからないけど。 西暦1069年、イングランド征服王ウィリアム1世に抵抗するアングロ・サクソン貴族と川を遡ってきたデーン人がヨークを攻撃している。 そして清教徒革命が起こると、西暦1643年からヨーク城の城代ヘンリー・クリフォードが王党派を率いてヨークにたてこもり、議会軍がヨークが包囲した。そして翌年、王党派はヨークを議会軍に明け渡している。 余談ながら、ヨーク城のクリフォード・タワーなんだけど、上に名前の出た王党派のリーダーのクリフォードさんが歴代のヨーク城の城代を務めていたことから名づけられたらしいよ。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|