東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヴァレンシアの火祭りとバルセロナ

(スペイン 1999年3月)


現在のヴァレンシア(スペイン)

  • スペイン第三の都市。

  • 人口は約75万人。

  • ヴァレンシア市の別名は「ラ・クラーラ La Clara」。その意味は「晴れ渡った」。




ヴァレンシア略年表
1. 古代からイスラム教徒による征服まで

  • 紀元前219年、現在のヴァレンシア近くにあるサグントの街をハンニバル配下の軍が攻略し、第二次ポエニ戦争が起こった。

  • 紀元前138年、古代ローマの手によって、退役軍人のための植民都市として、ヴァレンシアが建設された。

    初代ローマ皇帝アウグストゥスの像(ラヴェンナ) 後に衰退したヴァレンシアだが、初代ローマ皇帝アウグストゥスによって再建された。

    右の画像は、ラヴェンナに立つアウグストゥスの像。

  • 西暦6世紀、ヴァレンシアは西ゴート王国の領土となった。

  • 西暦711年、北アフリカのイスラム教徒の軍がイベリア半島に上陸した。

  • 西暦714年、イスラム勢力がヴァレンシアを征服した。現在のカテドラル(大聖堂)の地にあった西ゴート王国時代の教会は、イスラム教徒によってモスクとされた。

    イスラムによる征服後、ヴァレンシア地方には多くのベルベル系マスムーダ族の人々が定着した。この土地を彼らはヴァランスィヤと呼び、それが後にヴァレンシアとなった。

  • 775年、アッバース朝によって派遣されていたアッ・サクラビー(イブン・ハビーブ)がヴァレンシアにおいて敗れた。以後、後ウマイヤ朝のアブド・アッ・ラフマーンによるスペイン統一が進んだ。

  • 801年、ハカム1世(後ウマイヤ朝三代目の支配者)に敗れたアブドゥラー(ハカム1世の叔父で後ウマイヤ朝初代アブド・アッ・ラフマーンの子)がヴァレンシアに逃れて生きた。

    後に彼はヴァレンシアを支配することを許された。

  • 822年、後ウマイヤ朝三代目のハカム1世が死去。その子アブド・アッ・ラフマーン2世に対し、ヴァレンシアの支配者アブドゥラーが反乱を起こした。彼は既に70歳を越えていた。

  • 823年、反乱を続けていたヴァレンシアの支配者アブドゥラーが全身麻痺を起こして死去。後ウマイヤ朝はヴァレンシアに代官を派遣した。

  • 924年、ヴァレンシアの支配者ヤアクーブ・イブン・アビー・ハーリドが、後ウマイヤ朝の支配者アブド・アッ・ラフマーン3世によるパンプローナ遠征に従軍した。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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