カラヴァッジョ 「馬丁たちの聖母」(「蛇の聖母」)

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと並ぶ17世紀イタリア・バロックの代表的芸術家がカラヴァッジョであるとは、この旅行記の中でも何度も書いてきたことだよね。それほどの名声のある画家だから、ベルニーニと同様にその作品がサン・ピエトロ大聖堂を飾ったこともあったんだ。

その作品が、下の画像にある「馬丁たちの聖母」(あるいは「蛇の聖母」)。完成したのが西暦1605年。父ピエトロに連れられたジャン・ロレンツォ・ベルニーニがローマに移ってきた年だね。そして、明けて西暦1606年には、この絵がサン・ピエトロ大聖堂の祭壇の一つに捧げられた。

ボルゲーゼ美術館に見るカラヴァッジョの「馬丁たちの聖母」(ローマ、イタリア) ボルゲーゼ美術館に見るカラヴァッジョの「馬丁たちの聖母」(ローマ、イタリア)

ところが、カラヴァッジョの「馬丁たちの聖母」は、たった一ヶ月ほどでサン・ピエトロ大聖堂の祭壇から取り外されてしまったんだ。品格が無いということと、伝統的な表現方法に反しているということの二つが理由だったらしい。

確かに彼の描く聖母マリアは、伝統的な姿からはかけ離れているよね。なんせ幼いイエス・キリストに蛇の踏み潰し方を教えているんだから...。でも、この蛇は罪と異端の象徴なんだそうな。

サン・ピエトロ大聖堂からはずされたカラヴァッジョの「馬丁たちの聖母」は、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼのコレクションに加えられた。故にこうしてボルゲーゼ美術館で見ることが出来るわけだ。

カラヴァッジョ 「ゴリアテの首を持つダヴィデ」

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会にあるカラヴァッジョの絵のページでも書いたけど、彼は殺人罪の故にナポリ、シシリア、マルタなどを逃げまわる破目に陥ったんだ。

そんな逃亡者カラヴァッジョが西暦1609年から1610年にかけて描いたのが、下の画像にある「ゴリアテの首を持つダヴィデ」だった。

ボルゲーゼ美術館に見るカラヴァッジョの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」(ローマ、イタリア) ボルゲーゼ美術館に見るカラヴァッジョの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」(ローマ、イタリア)

剣を手にしたダヴィデの左手に下げられているゴリアテの首は、殺人犯カラヴァッジョの自画像なんだそうな。カラヴァッジョは、この絵をローマ法王庁に送り、殺人罪の恩赦を願ったんだ。

そして恩赦は与えられた。しかし、その知らせが届けられたとき、激しい情熱家の画家カラヴァッジョはローマ近くで亡くなっていたんだ。西暦1610年のことだった。

アウトサイダー芸術家 カラヴァッジョ

犯罪者として逃亡の途中で死んだカラヴァッジョ。エリート芸術家としての人生を歩んだラファエロとは対照的な人物がカラヴァッジョかな。

カラヴァッジョが生まれたのは西暦1571年。幼くして両親と死に別れた彼は、15歳頃にローマに出てきたんだそうな。そこで、若くして才能を見出され、多くの貴族たちが彼に作品を注文した。

ところが、彼は街の娼婦や貧民達を描き、しばしば注文主の貴族たちから作品の受け取りを拒まれた。他方で、ローマの街をうろついては喧嘩騒ぎを起こす。その挙句の人殺し。そして彼の逃亡者としてく暮らしが始まったんだ。


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