東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

カンパーニャ と ローマ・ヴァティカン イタリア

第四部 ローマ・ヴァティカン編


D54. ボルゲーゼ美術館
(ボルゲーゼ美術館 -1.)


ボルゲーゼ美術館

前のページで画像を御紹介したけど、地元の人々の憩いの場所となっているボルゲーゼ公園を作ったのが、17世紀の枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ。

そして、ローマ教皇パウルス5世を叔父に持つ彼は、当時のローマでも有数の美術品のコレクターだった。そんな枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼのコレクションを基にして作られたのが、ボルゲーゼ公園の中にあるボルゲーゼ美術館(下の画像)なんだ。

ボルゲーゼ公園内にあるボルゲーゼ美術館(ローマ、イタリア) ボルゲーゼ公園内にあるボルゲーゼ美術館(ローマ、イタリア) ボルゲーゼ公園内にあるボルゲーゼ美術館(ローマ、イタリア) ボルゲーゼ公園内にあるボルゲーゼ美術館(ローマ、イタリア)

このボルゲーゼ美術館が私たちのお目当てなんだけど、中に入る前にちょっと注意書き。このボルゲーゼ美術館の中ではカメラの使用や持ち込みは禁止されている。というわけで、これから御紹介するボルゲーゼ美術館関連の画像は、不本意ながらも絵葉書などの資料から取り込んだもの。

もう一つ大事なこと。このボルゲーゼ美術館の入館時間と入館することの出来る人数は制限されている。事前に予約しておく方が良いみたいだよ。

枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼと
バロックの旗手ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

元々ボルゲーゼ家はトスカナ地方の街シエナに勢力を持つ名家だったみたい。ところが、16世紀半ばにフィレンツェがシエナを征服したこともあり、既に一族の出身者が教皇庁に地位を得ていたこともあって、16世紀後半に一族を挙げてローマへ移り住んだんだ。

ボルゲーゼ美術館に見るベルニーニ作「枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ像」(ローマ、イタリア) 西暦1605年、ボルゲーゼ家のカミッロ・ボルゲーゼが、ローマ法王パウルス5世として即位した。

彼は翌年の西暦1606年には26歳になる甥のシピオーネ・ボルゲーゼを枢機卿の地位につけたんだ。(右の画像はベルニーニ作「枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの肖像」。)

他方、ナポリに生まれたジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、彼と同じく彫刻家だった父ピエトロ・ベルニーニに連れられて、西暦1605年(当時ベルニーニ 7歳)にローマへ移り住んでいた。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、彫刻家だった父ピエトロの指導を受けて、同じく彫刻家の道を歩み始めた。そんな若手彫刻家に制作を依頼したのが、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼだった。

若き日のベルニーニの自画像(ボルゲーゼ美術館、ローマ、イタリア) 枢機卿の依頼を受けて、次々と彫刻を制作した若き日のベルニーニ。その作品の中には、初期のベルニーニの傑作の一つ「アポロとダフネ」も含まれている。

右の画像は、西暦1623年頃に描かれたベルニーニの自画像。「アポロとダフネ」の制作開始が西暦1622年頃で1625年には完成していたから、ちょうどその作品を制作していた頃のベルニーニだね。

やがてベルニーニはローマの美術界に名声を得て、イタリア・バロックの旗手となっていくんだけども、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼは芸術家としてのベルニーニの育ての親の一人だったんだね。

ボルゲーゼ美術館の基礎を築いた枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼとバロックの旗手ベルニーニとの間にそんな関係があったということで、ボルゲーゼ美術館ではいくつものベルニーニの作品を見ることが出来るんだ。もちろん、傑作「アポロとダフネ」もある。

更に、同じくイタリア・バロックの旗手だったカラヴァッジョの作品もあるんだ。それらの作品を次のページから御紹介するかな。


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