東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

チェスターの週末(イギリス)

09. チェスター大聖堂 聖ワーバラの霊廟

チェスター大聖堂の最奥 聖母の礼拝堂にある聖ワーバラの霊廟

チェスター大聖堂の内陣の最奥には聖母の礼拝堂がある。そこで人々の視線を集めるのが、下の画像にある聖ワーバラの霊廟なんだ。

チェスター大聖堂の内陣の最奥にある聖ワーバラの霊廟(イギリス)

この聖ワーバラの霊廟は、14世紀のものなんだそうな。ところが、イングランド王ヘンリー8世による修道院の解散によって、当時は大聖堂ではなく修道院だったこの聖堂は放棄されてしまった。それに伴い、ここにあったこの聖ワーバラの霊廟も解体されちゃったらしい。その際に聖ワーバラの聖遺物も散逸したんだそうな。

ところが19世紀の修復の際に解体された聖ワーバラの霊廟が発見された。西暦1888年には聖ワーバラの霊廟が組み立てられ、このチェスター大聖堂に再び安置されたというわけだ。

聖ワーバラとチェスター

というわけなのはわかったけど、そもそも聖ワーバラってどなた様なのか。日本人で聖ワーバラを知っている人はかなり少ないだろうね。もちろん、私も知らなかった。で、調べたわけだ。

聖ワーバラ、7世紀の前半にマーシア王国の王女として生まれた。母はケント王国の王女だった。聖アウグスティヌスがケントの中心都市カンタベリーで布教活動をしただけに、ケント王国の人々はキリスト教の信仰が篤かった。聖ワーバラもキリスト教信仰について母の影響を受けたらしい。

話はそれるんだけど、ヨークにあるヨーク・ミンスター(大聖堂)の起源となる教会は、ノーサンブリア王エドワインの洗礼の為に建てられたんだけど、エドウィンの改宗はケント王国の王女と結婚したからだったんだ。ノーサンブリア王国のキリスト教化にもケント王国の王女が貢献したんだね。

チェスター大聖堂のステンド・グラスに見る聖ワーバラ(イギリス) 話を戻して聖ワーバラなんだけど、イングランドの修道院の改革に貢献したらしい。その結果、イングランドの聖人とされている。

そんな聖ワーバラは西暦599年に亡くなり、スタフォードシャーに葬られたんだそうな。 9世紀にはチェスターのシティ・ウォール(市壁)の内側にあった教会に聖ワーバラの霊廟が移された。(右の画像はチェスター大聖堂のステンド・グラスに見る聖ワーバラ。画像の中央だよ。)

その後、チェスターにおいては聖ワーバラに対する尊崇が高まった。そこで西暦975年には今のチェスター大聖堂の場所にあった教会が聖ワーバラに捧げられたというわけだ。11世紀には聖ワーバラはチェスターの守護聖人になっていた。

チェスター大聖堂の食堂で休憩

いつの間にかチェスター大聖堂の中には聖歌隊のコーラスに加えてパイプオルガンの音が響き始めていた。ミサが始まるのかな。そろそろ異教徒は退散しよう。

というわけで、やって来たのはチェスター大聖堂の食堂。西暦1225年から1250年にかけて建てられた食堂。中世には修道士たちがここで食事をしたらしい。

チェスター大聖堂の食堂の壁とステンド・グラス(イギリス)

かつては説教だけが響いていた食堂だった。修道士たちは食事中も沈黙を保つのが規則だった。が、いまはかなり騒々しい。この食堂の中は、修道士たちじゃなくて私たちのような観光客で満席なんだ。私たちは売店で買ったチョコレートをかじりながら、コーヒーを飲んで休憩。

そうそう、上に聖ワーバラの説明を書いたけど、そこにある聖ワーバラを描いたステンド・グラスは、この食堂の壁にあったもの。上の画像は食堂の壁と窓を撮影したものなんだけど、その左の方に小さく聖ワーバラのステンド・グラスが写っているよ。


次のページは 「10. チェスター郊外のクラブウォール・マナー」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。