チェスター大聖堂の最奥 聖母の礼拝堂にある聖ワーバラの霊廟チェスター大聖堂の内陣の最奥には聖母の礼拝堂がある。そこで人々の視線を集めるのが、下の画像にある聖ワーバラの霊廟なんだ。
この聖ワーバラの霊廟は、14世紀のものなんだそうな。ところが、イングランド王ヘンリー8世による修道院の解散によって、当時は大聖堂ではなく修道院だったこの聖堂は放棄されてしまった。それに伴い、ここにあったこの聖ワーバラの霊廟も解体されちゃったらしい。その際に聖ワーバラの聖遺物も散逸したんだそうな。
聖ワーバラとチェスターというわけなのはわかったけど、そもそも聖ワーバラってどなた様なのか。日本人で聖ワーバラを知っている人はかなり少ないだろうね。もちろん、私も知らなかった。で、調べたわけだ。聖ワーバラ、7世紀の前半にマーシア王国の王女として生まれた。母はケント王国の王女だった。聖アウグスティヌスがケントの中心都市カンタベリーで布教活動をしただけに、ケント王国の人々はキリスト教の信仰が篤かった。聖ワーバラもキリスト教信仰について母の影響を受けたらしい。 話はそれるんだけど、ヨークにあるヨーク・ミンスター(大聖堂)の起源となる教会は、ノーサンブリア王エドワインの洗礼の為に建てられたんだけど、エドウィンの改宗はケント王国の王女と結婚したからだったんだ。ノーサンブリア王国のキリスト教化にもケント王国の王女が貢献したんだね。 話を戻して聖ワーバラなんだけど、イングランドの修道院の改革に貢献したらしい。その結果、イングランドの聖人とされている。 そんな聖ワーバラは西暦599年に亡くなり、スタフォードシャーに葬られたんだそうな。 9世紀にはチェスターのシティ・ウォール(市壁)の内側にあった教会に聖ワーバラの霊廟が移された。(右の画像はチェスター大聖堂のステンド・グラスに見る聖ワーバラ。画像の中央だよ。) その後、チェスターにおいては聖ワーバラに対する尊崇が高まった。そこで西暦975年には今のチェスター大聖堂の場所にあった教会が聖ワーバラに捧げられたというわけだ。11世紀には聖ワーバラはチェスターの守護聖人になっていた。 チェスター大聖堂の食堂で休憩いつの間にかチェスター大聖堂の中には聖歌隊のコーラスに加えてパイプオルガンの音が響き始めていた。ミサが始まるのかな。そろそろ異教徒は退散しよう。というわけで、やって来たのはチェスター大聖堂の食堂。西暦1225年から1250年にかけて建てられた食堂。中世には修道士たちがここで食事をしたらしい。
かつては説教だけが響いていた食堂だった。修道士たちは食事中も沈黙を保つのが規則だった。が、いまはかなり騒々しい。この食堂の中は、修道士たちじゃなくて私たちのような観光客で満席なんだ。私たちは売店で買ったチョコレートをかじりながら、コーヒーを飲んで休憩。
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