チェスターのシティ・ウォール(市壁)を歩くチェスターの名所のひとつであるイーストゲートに登ったのは、ヴィクトリア女王ゆかりのイーストゲート・クロックを撮影するためじゃなかった。そこから中世のシティ・ウォール(市壁)を歩こうというわけなんだ。
上の画像が、チェスターのシティ・ウォール(市壁)。イギリスでは他にもイングランド南部のカンタベリーにもシティ・ウォールがあるし、北部のヨークにもシティ・ウォールは残っている。古代ローマ時代のロンドンゆかりのロンドン・ウォールの遺跡もある。でも、このチェスターのシティ・ウォールが最も保存状態が良いんだそうな。
シティ・ウォールから見下ろした古代ローマ時代の遺跡チェスターのイーストゲートの上からシティ・ウォール(市壁)の上を南に向かって歩く。間もなく左手(東側)に見えてくるのが、下の画像のような古代ローマ帝国時代の遺跡だったりするんだ。
上の画像に見える石柱の礎石は、古代ローマ時代の浴場のものなんだそうな。その上にある煉瓦造りの構築物は、古代ローマ時代のハイポコースト(床下のセントラル・ヒーティング)の復元なんだそうな。本物はチェスター市内のレストランの地下にあるらしい。ちなみに、古代ローマ時代の浴場跡はイギリス南西部のバースにもあるね。
チェスターを取りまくディー川にかかるオールド・ディー・ブリッジチェスターのシティ・ウォール(市壁)の上をイーストゲートから南に向かって歩けば、やがて下の画像のような風景を見ることになる。
上の画像に写っているのはオールド・ディー・ブリッジ。14世紀に架けられた橋なんだそうな。その橋がかかっているのはディー川。そのディー川の名にちなんで、古代ローマ人はこの街をディーヴァと呼んだらしい。
清教徒革命でのチェスターの籠城今でこそ観光客が歩くのに最適なチェスターのシティ・ウォール(下の画像)なんだけど、当然ながら昔ははるかに重要な存在だったよね。
そんなチェスターのシティ・ウォール(市壁)の重要性が高まったのが、清教徒革命の時代だった。王党派と議会派が争ったイギリスの清教徒革命の際の戦いにおいて、チェスターは王党派の側についたらしい。そして西暦1644年から2年間にわたって籠城したんだそうな。
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