東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

チェスターの週末(イギリス)

02. チェスターの名所 イーストゲート

チェスターの名所 イーストゲート

イーストゲート近くのホテルのブラッサリーでお昼を食べて、次はイーストゲートだ。

チェスターのイーストゲートを見上げた(イギリス)

上の画像が、そのイーストゲートなんだけど、西暦1769年に完成したものなんだそうな。中世の城門に代えて造ったらしい。ちなみに、イギリスの北東部にあるヨークの街には、今も中世の城門が残っている。それが、ばら戦争時代に戦死したヨーク公が晒し首にされた城門だったりするんだ。

イーストゲート・クロック

上の画像にも写っているけど、イーストゲートの上には時計がある。イーストゲート・クロックと呼ばれている。実際のところ、イ−ストゲートそのものよりも、イーストゲート・クロックの方がチェスターの観光に貢献しているのかもしれない。

チェスターのイーストゲートにあるイーストゲート・クロック(イギリス)

上の画像でも 1897 という数字が見えるでしょ。このイーストゲート・クロック、大英帝国に君臨したヴィクトリア女王の即位60周年を記念して設置されたものなんだそうな。

ちなみに、イギリスで最もカメラで撮影される時計は、ロンドンにある国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)のビッグ・ベンなんだそうな。そしてこのチェスターのイーストゲート・クロックは、イギリスで2番目に頻繁に撮影される時計なんだと ・・・。

イーストゲートから通りを見下ろした

そんなイーストゲート・クロックの横から、さっきまで歩いていたイーストゲート・ストリートを見下ろしたのが下の画像だ。

チェスターのイーストゲートから見下ろしたイーストゲート・ストリート(イギリス)

この通りがイーストゲート・ストリート。その先がウォーターゲート・ストリート。二つ併せて、古代ローマ帝国時代のプリンシパリス街道。その街道を更に西に進めば、ウェールズ北部に至るわけだ。

古代ローマ帝国のブリタニア総督アグリコラからエドワード1世まで

西暦43年にロンドンを造ってブリタニア(イギリス)支配を始めた古代ローマ帝国なんだけど、ウェールズではケルト人の反乱が続いていた。そんなウェールズに遠征し、ケルト人の反乱を鎮圧したのが古代ローマ帝国のブリタニア総督アグリコラだった。

アグリコラは、ウェールズ北部の支配の為にカーナフォン(当時の名前はセゴンティウム)に城塞都市を築き、このチェスターの軍団と連携させたんだそうな。

時代は下って中世のこと。イングランド王ヘンリー2世に始まるプランタジネット家イングランド王エドワード1世はウェールズ統治に努め、カーナフォン城を築いたんだけど、彼もアグリコラと同じく、チェスターとウェールズ北部との連携を重視したらしい。

エドワード1世は、そんなハード面からの反乱抑止のみならず、皇太子をプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)とするなどのソフト面からの問題解決にも努めたんだけどね。(他方で、同時にスコットランドに侵攻していたから、ハードだけで両面作戦はしんどかったのかも。)

そんなエドワード1世がウェールズを平定した後のこと。西暦1400年にウェールズの豪族の子孫にあたるオーウェン・グリンドゥールがウェールズの反乱を起こしている。その反乱が起きたのは、イングランド王リチャード2世テムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉され廃位された際に、このチェスターで暴動が起きた時だったらしい。イングランド内部の混乱に乗じてウェールズの独立を回復しようという狙いだったみたいだね。やがてそのウェールズの反乱も鎮圧されちゃったんだけど。


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