東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のポルトガル
(1998年5月)
20. 勝利のサンタ・マリア修道院
(バターリャ、ポルトガル)
次にバスを降りたのは、バターリャ Batalhaという場所。ここに勝利のサンタ・マリア修道院が立っているんだ。バターリャという言葉の意味は、「戦い」ということらしい。
ポルトガルとカスティリアとの戦い
西暦 1385年のこと。ポルトガル国内に限れば、キリスト教徒の権力が確立され、レコンキスタ(国土回復運動)は終了していた。外敵に打ち勝った後には良くあることだけど、王位継承問題が起こりポルトガルは内部分裂していたらしい。
そこへ介入してきたのが、隣国のカスティリアだ。もちろん、狙いはポルトガルを支配下に組み入れること。カスティリアに対して戦ったのは、ポルトガル王 ジョアン 1世だった。
劣勢にあったジョアン 1世は、聖母マリアに戦勝を祈願した。その御加護があったのかどうか、ポルトガル軍はアルバジュバロッタの地でカスティリア軍を撃ち破り、独立を保つことが出来たんだ。
ちなみに、ポルトガルとカスティリアとの間の対立・戦いに関しては、「ポルトガル略年表 - 05. カスティリアとの戦い」のページが詳しいよ。
勝利のサンタ・マリア修道院
ポルトガル王 ジョアン 1世は、聖母マリアに対して戦勝を感謝するために建設を命じたのが、この「勝利のサンタ・マリア修道院」というわけだ。
この修道院は、ポルトガルを代表するゴシック様式の建物でもあるんだ。
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