東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

グルジア 2000年3月


2000年3月19日
02. トビリシの母、城、クラ川

翌朝、玉ちゃんがホテルまで来てくれた。玉ちゃんというのは、私の仲良しのグルジア人だ。グルジア語に加えて、ロシア語と英語を話す。

その玉ちゃんが言うには、今日は私の面談の相手が都合がつかないらしい。私の相手は、日曜日の今日も、仕事で飛びまわっているのだそうだ。

そういうことならば、グルジアの観光をするしかない。玉ちゃんの従弟の友達のイラクリの車に乗り込み、トビリシの街の中に向かう。(私の泊まるホテルは街はずれの丘の上にある。)

トビリシの母

トビリシの母 見えてきたのが、トビリシを見下ろす山の上に立つ「トビリシの母」。(右の画像)

(資料によっては、グルジアの母と書いているものもある。どっちが正しいのだろうか。)

その「母」の右手には剣、左手にはグラスがある。敵には容赦せず、しかし客には温かいもてなし。そんなグルジアを象徴するのが、「トビリシの母」なのだ。

クラ川 あるいは クワリ川

トビリシ市内を貫通しているのが、「クラ」川(右の画像)だ。ただし、グルジア人は「クワリ」川と呼ぶと玉ちゃんが教えてくれた。

クラ川

このトビリシは、古来よりクラ川を利用した水運の中枢だった。グルジアの西部つまり黒海の東岸まで船で運ばれた輸入品は、グルジアを経由してユーラシアの内部へと運ばれていた。その際に利用された水運の中心が、このクラ川に面したトビリシだったと言うわけだ。

ちなみに、現在ではアゼルバイジャンなどのカスピ海の油田で生産された原油のかなりの部分が、パイプラインや鉄道によってグルジア国内を輸送され、黒海の港から地中海へ運び出されている。

川から目を上げれば、はるか彼方にコーカサスの山なみが見えていた。しかし、画像ではよくわからないな ... 。




トビリシの城

トビリシの中心部の小山の上にあるのが、下の画像にある城。

トビリシの城山

かつて、あの山の上には立派な城(あるいは宮殿)があった。しかし、18世紀のロシアとオスマン・トルコとの戦いの際に、砲撃によって破壊されてしまった。今では山頂を取り囲む城壁だけが残っている。(その中には真新しい教会も建てられているが。)

その城山に登ろうという玉ちゃんとイラクリの誘いに、うかつにも乗ってしまった。ところが、これが大変。途中までは道も整備されており、さほど辛くはない。しかし、頂上に近づくに連れて、道も消えてしまい、岩登りともいうべき状況となる。若い二人との体力の差はれ毅然としている。

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【参考】都市別ツアー


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