東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

グルジア 2000年3月


グルジア 略年表
BC 30c クロ・アラクセス文化。
BC 20c コルヒ族とタオ族とが繁栄。
BC 17-15c グルジア西部にコルヒ第 1 王国が栄えた。
BC 12-8c タオ族のメスヒ第 1 王国がグルジア南西部に栄えた。
BC 8c グルジアの部族集団が崩壊した。台頭してきたのは、カルトリ、メングレリ、チャン、スヴァニ等の諸部族だった。
BC 7-6c スペリ王国、次いでカルトリ王国(即ち、イベリア王国)が栄えた。
BC 6c エグリシ王国(コルヒ第 3 王国)が栄えた。
BC 8-6c コルヒ第 2 王国が栄えた。

その頃、ギリシア人は現在のアブハチア地方に通商拠点を設けた。特にディオスキュラス(現在のスフミ)が最も繁栄していた。

当時のグルジア東部では、カルトリ族の中のメスキア族が現在のムツケタ周辺に定着し、有力となった。
BC 4-3c カルトリ王パルナヴァズ 1 世によるグルジア統一。(パルナヴァズ王朝によるグルジア支配の始まり。)
BC 65 ローマ帝国のポンペイウスがグルジアに侵攻。カルトリ王国は降伏した。ローマはスフミを要塞化した。(古代ローマ帝国の兵士たちは、イタリアローマを発して、はるかここまで来たんだねえ!)
AD 1-2c グルジア西部には、ローマに従属的な小王国が分立していた。

その頃、グルジアにキリスト教が広まった。
AD 2-3c グルジア東部ではカルトリ王国が勢力を強めていた。カルトリ王国は、ローマ帝国と同盟していた。
AD 3-4c グルジア西部では、エグリシ王国が勢力を強めた。(グルジアにおいては、現在のアブハチアはエグリシ王国の領土だと主張されている。)
AD 325
-335
カッパドキアの聖ニノがカルトリ王国に洗礼を施したと伝えられる。(聖ニノは聖ジョージの近親者だとの説がある。)
AD 337 キリスト教がカルトリ王国の国教となった。
AD 457
- 502
バクタンク・ゴルガサリ 1 世治下のグルジアは全盛期を迎えた。

彼はペルシアとの戦いを遂行し、首都をムツケタからトビリシへ移す準備をした。

伝説によれば、バクタンク王は雉を矢で射止めた。その雉が落ちたところには温泉があり、雉の傷が癒えた。それを見た王は、そこに都を築くことを宣言した。(「トビリシ」の名の「トビリ」は、グルジア語で「暖かい」という意味を持つ。今でもトビリシには温泉がある。)
AD 5c グルジア文字が生まれた。
AD 502 バクタンク王戦死。
AD 523 アブハチアはビザンティン帝国の支配下に入った。

同年、グルジア東部のカルトリ王国はペルシアに従属。その後、ペルシアはグルジア西部のエグリシ王国に侵攻することになる。
AD 562 ビザンティンとペルシアとの間に和約が成立した。グルジア東部はペルシアに、西部はビザンティンに服属した。
AD 572 カルトリ人が武装蜂起し、ペルシアを駆逐した。
AD 6c 現在の北オセチアの地に、オセチア人が定住し始めた。
AD 642
- 652
イスラム教を信仰するアラブ軍がグルジアに侵攻。
AD 645 アラブ軍がトビリシを占領した。しかし、アラブ軍はグルジア西部の制圧に失敗した。
AD 8c ビザンティンの支援を受けたグルジア各地の諸公国が、アラブ勢力に抵抗を続けた。
AD 8c末 グルジア東部ではカヘティ公国が成長し、西部ではアブハチア王国が成長した。
AD 9c グルジア南西部のタオ・クラルイェティ公国のアショト 1 世が領土を拡大していった。(バグラティオニ王朝)
AD 914 アラブ軍による最後の侵攻。
AD 10-13c グルジア・ルネッサンス。グルジアが最も強力だった時代。
AD 10-11c バグラト・バグラティオニ王(バグラト 3 世)によるグルジア再統一。

彼の治世下に於いて、ムツケタの主教がグルジアの総大主教となった。アブハチアもムツケタ総大主教の管轄下に置かれている。
AD11c初 グルジアとビザンティンとの間で戦いが続いた。
AD 1064 セルジューク・トルコがグルジアに侵攻。しかし、撤退。
AD 1068 セルジューク・トルコによるグルジア侵攻。
AD 1079
- 1080
セルジューク・トルコによるグルジア侵攻。
AD 1121 グルジアのデヴィド 4 世がセルジューク・トルコの軍を撃ち破った。
AD 1122 デヴィド 4 世が1、トビリシをセルジューク・トルコの手から奪還した。
AD 1184 タマル女王(タマル・バグラティオニ)の時代に、グルジアは最大の版図を誇った。
AD 1220 モンゴル軍がグルジアに侵攻した。
AD 1225
- 1242
モンゴルがグルジアを征服。
AD 1335 ギオルギ 5 世がモンゴル勢力を駆逐し、グルジアを再統一した。
AD 1366 グルジアにペストが流行し、多くの人々が命を失った。
AD 1386
- 1403
ティムールが、8 回に及ぶグルジア侵攻作戦を展開した。
AD 15c オスマン・トルコがアジャリアを征服。
AD 1541 サファヴィー朝ペルシアがトビリシを攻略した。
AD 1555 オスマン・トルコとサファヴィー朝ペルシアとの間で和約が成立。グルジア西部はオスマン・トルコの勢力下に入り、東部はサファヴィー朝の勢力下に入った。

しかし、カルトリ王国は抵抗を続けていた。
AD 1583 カルトリ王国のシモン 1 世が、オスマン・トルコからトビリシを奪還した。
AD 17c サファヴィー朝ペルシアがグルジアの支配をもくろんだ。しかし、グルジアの抵抗は根強く、ペルシアは征服を断念。
AD 17c後
- 18c初
アブハチア公国が勢力を拡大。
AD 1723 オスマン・トルコによる侵攻。バクタンク 4 世はロシアに赴き支援を求めたが果たせず、王はグルジアへの帰路に死去。トルコの侵攻は続いた。
AD 1783 エカテリーナ大帝治下のロシアとグルジアとが、ゲオルギエフスク条約を結んだ。グルジア東部はロシアの保護下に入った。
AD 1787 ロシアとトルコとの戦争が再発し、ロシア軍はグルジアから兵をひいた。
AD 1795 ペルシアがグルジアに侵攻。
AD 1798 ペルシア軍がトビリシを席巻した。
AD 1798
- 1800
最後のグルジア王ギオルギ 12 世の統治。
AD 1801 ロシアがグルジア東部の併合を宣言。
AD 1810 ロシアがアブハチア公国を保護下に置いた。
AD 1811 グルジアの独立教会がロシア正教会に服属することになった。
AD 1820- 南オセチアがロシアに併合された。
AD 1828
- 1829
トルコとの戦争に勝ったロシアは、グルジア内のメスヘティとジャヴァヘティの大部分を獲得した。
AD 1864 露土戦争においてトルコに協力したアブハチア公が流刑に処され、アブハチア公国はロシアに併合された。
AD 1917 ロシアにおけるボルシェヴィキ革命。
AD 1918 グルジアが独立を宣言した。( 117 年ぶりの独立国家)
AD 1921 赤軍がグルジアに侵攻し、トビリシを占領。
AD 1922 ソ連邦に加盟。
AD1924 グルジアのメンシェヴィキによる蜂起が失敗した。
AD 1931 グルジア人であるスターリンとミングレリア人であるベリアにより、アブハチアがグルジア内の自治共和国とされた。
AD 1954 南オセチアにおいて、グルジア文字による表記が強制された。
AD 1970 - グルジア共産党が、オセチア及びアジャールにおけるグルジア同化政策を進めた。
AD 1978 アブハチア知識人がグルジア指導部によるグルジア化を批判。アブハチアにおいて大規模なデモが起こった。
AD 1988
- 1989
アブハチア人、アジャリア人、オセチア人がグルジアからの離脱を求めた。ジャヴァヘティアにおいては、アルメニア系住民義勇兵がナゴルノ・カラバフ紛争に参加した。
AD 1989 グルジア政府がグルジア語の使用を強制した。

同年、グルジア最高ソビエトは、1921年のソ連邦への加盟が無効であることを宣言した。

同年、南オセチアにおいて、オセチア人とグルジア人とが衝突した。
AD 1990 議会がグルジアの旧ソ連からの独立を宣言した。

同年、アブハチア自治共和国が分離独立を求め、アブハチア紛争が始まった。
AD 1991 ガムサフルディアが大統領に選出された。
AD 1992 グルジアで軍によるクーデターが勃発し、ガムサフルディア大統領が亡命した。シュワルナゼ氏が国家評議会議長に就任。

同年、グルジアは 179 番目の国連加盟国となった。

同年、インフレ率は 1,500% を記録、生産活動は前年比で 46% のマイナスとなり、一人あたり GNP は 580 ドルに落ち込み旧ソ連諸国中で最低となった。
AD 1993 グルジア軍部隊がアブハチアから駆逐された。

同年、CISに加盟。
AD 1994 グルジアとアブハチアとの間の停戦合意。

しかし、同年、アブハチアを主権国家とする憲法がアブハチアにおいて承認された。
AD 1995 選挙により、シュワルナゼ氏が大統領に就任。
AD 1996 南オセチアにおいて大統領選挙が行われ、チビロフが大統領に就任した。
AD 1998 シュワルナゼ大統領が、アブハチア、アジャリア、南オセチアに広い権利を認める連邦を提案した。
AD 1998 グルジア西部で武装蜂起が企てられたが失敗。




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