ロンドン南西部にあるハンプトン・コート私がロンドンに着任して数ヵ月後、家内がロンドンにやってきた。それから二人で初めて遠出をしたのが、ロンドン南西部にあるイングランド王ヘンリー8世ゆかりの宮殿ハンプトン・コートだった。上の画像はそのハンプトン・コート。当サイトのロンドン特派員キヨちゃんが送ってくれた画像なんだ。 ハンプトン・コートのガードの老紳士初めてやって来たロンドンにはしゃいでいた家内は、ハンプトン・コートの入口のガードのおじさんにまで記念写真を頼む始末。でも、ガードのおじさんは嫌な顔もせずに笑顔で相手をしてくれたよ。背の高い老紳士だった。 家内に限らず、世界各地からやって来る観光客と、このおじさんは記念撮影しているんだろうね。 ハンプトン・コートの幽霊日本から友人がきたときなど、ハンプトン・コートに何度も案内したもんだ。建設されたのは1514年のこと。やがて1525年にはイングランド王ヘンリー8世(エリザベス1世のお父さん)が譲り受け、それから200年ほどは王室の人々が住んだらしい。話によるとヘンリー8世に殺された妃たちは、幽霊となって、今でもこの宮殿に姿を見せるんだそうな。(但し、右の画像は幽霊じゃなくて、キヨちゃんが送ってくれた宮殿のガイドさんの姿だけどね。) イングランド王ヘンリー8世は、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン(ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世のおばさんにあたる)と離婚(婚姻無効)の後、アン・ブーリンなどと次々と再婚と離婚を繰り返している。このハンプトン・コート宮殿に姿を見せるのは、ヘンリー8世の5番目の王妃のキャサリン・ハワードなる女性の幽霊なんだそうな。
余談ながら、ヘンリー8世によってテムズ川のほとりのロンドン塔に送り込まれて幽閉・処刑されたのは、彼の2番目の王妃で女王エリザベス1世の母のアン・ブーリン、英国国教会の確立に貢献したトマス・クロムウェル、「ユートピア」著者トマス・モアなどなど。
ハンプトン・コートの花々しかし、ここで最も印象的なのは広い広い庭園かな。季節によっては、たくさんの花も咲いているんだ。(下の画像もロンドン特派員キヨちゃんの画像。キヨちゃん、いつも有難うね。)歴史もあれば、幽霊にも会える。しかも、花々を見ながら広い庭を散歩することも出来る。ロンドンからちょいと遠出して、ハンプトン・コートに行ってみようかなと思えちゃうよね。 ちょいと余談。このハンプトン・コート宮殿からさほど遠くない場所に、同じくイギリス王室とゆかりのキュー・ガーデンズ王立植物園がある。その植物園と関係の深いイギリス皇太子フレデリックと妃オーガスタもこのハンプトン・コート宮殿に住んでいたんだそうな。 イギリス王ウィリアム3世の落馬ところで、名誉革命の後にイギリス王となったウィリアム3世(オレンジ公)は、このハンプトン・コート宮殿には住まず、ロンドン市内のケンジントン宮殿(ケンジントン・ガーデンズにある)に住んだらしい。ところが、西暦1702年のことなんだけど、ウィリアム3世はこのハンプトン・コート宮殿で落馬して負傷した。すぐにケンジントン宮殿に運ばれたんだけど、そこで亡くなったんだ。まさかハンプトン・コート宮殿に姿を見せる幽霊の ・・・ なんてことはないよね。
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