東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ロンドンの風景(イギリス)

テムズ川クルーズ 前編 (ロンドン)

テムズ川クルーズはロンドン塔の船着場から

テムズ川の岸に立つロンドン塔(イギリス) ある日のお昼前、ロンドン塔(右の画像)の横にある船着場から、船に乗り込む。これからテムズ川クルーズに出るというわけだ。

そして当然ながら、船から最初に眺めるのは、ウィリアム征服王によって建てられたロンドン塔のホワイト・タワーということになる。

船のキャビンには、ビールやワインに食べ物まで用意されている。食べて飲みながらテムズ川クルーズを楽しもうという趣向なんだ。が、まずはロンドン塔にカメラのレンズを向けるのに忙しいよね。

ついでながら、ローマからやって来た古代ローマ帝国の人々がロンドン(ロンディニウム)を建設した後、ロンドン・ウォール(市壁)を周囲に築いたらしい。このロンドン塔はそのロンドン・ウォールの東の端っこに建てられたんだそうな。

テムズ川に浮かぶ戦艦ベルファスト号

西に向かうテムズ川クルーズ船から次に間近に見えたのは、戦艦ベルファスト号。

ロンドンを流れるテムズ川に浮かぶ戦艦ベルファスト号(イギリス)

上の画像に見える戦艦ベルファスト号の向こう側を、テムズ川クルーズの船は進んでいくわけだ。この戦艦ベルファスト号、第2次世界大戦の際には現役で戦ったらしいが、現在は博物館になっている。タワー・ブリッジの上からもこの戦艦は良く見えるよ。

テムズ川から見るビッグ・ベンとイギリス国会議事堂

私たちの乗ったテムズ川クルーズの船は、テムズ川を西に進む。やがてビッグ・ベンと国会議事堂の姿が次第に大きく見えてくる。ここはウェストミンスター宮殿として昔はイングランド王たちも住んでいた。でも、イングランド王ヘンリー8世ハンプトン・コート宮殿に移ってからは、むしろ国会議事堂として使われているよね。

テムズ川クルーズの船から眺めたビッグ・ベンと国会議事堂(ロンドン、イギリス)

そのあたりで方向転換をした船は、今度はテムズ川を東へと向かう。キャビンの中の私たちは、サンドイッチを食べ、ワインを飲みながら景色を楽しむわけだ。

ところで上の画像にある国会議事堂となっているウェストミンスター宮殿なんだけど、その宮殿を火薬で吹っ飛ばそうという計画が西暦1605年にあったらしい。ガイ・フォークスたちによる火薬陰謀事件なんだけど、未然に発覚して実行には至らなかったんだ。

その犯人のガイ・フォークスたちはロンドン塔に監禁され、裁判に出るためにテムズ川に浮かぶ艀でウェストミンスターまで連れて来られていたんだそうな。彼らにテムズ川の景色を楽しむ余裕は無かっただろうけどね。

ロンドンの発展を支えたテムズ川

余談ながら、ロンドンの南側を西から東へと流れるテムズ川は、ロンドンの南側の防壁だった。その南側以外の面にはロンドン・ウォールが築かれたけれども、テムズ川沿いにはそれがないんだ。

そしてこのテムズ川はヨーロッパ大陸への通路でもあった。ヨーロッパ大陸から海を越えて来た船は、テムズ川を遡ってロンドンまで来て、人々が乗り降りし、物資の積み下ろしが為されたらしい。

そしてテムズ川を渡る橋は、このロンドンにかけられていた。この橋を通って古代ローマ帝国時代からの街道が走り、ヨークチェスターに至っていたわけだ。そんなテムズ川や橋や街道が、古代ローマ帝国のブリタニア(イギリス)撤退後もロンドンの発展を支えたんだよね。

ちなみに、このテムズ川がイギリスにおける名誉革命の際に重要な役割を果たしたらしい。というのも、カトリックであり王権神授説を信じていたイギリス国王ジェームズ2世は、ロンドンを逃れる際に国璽(国家のハンコ)をテムズ川に投げ捨てたんだそうな。そしてフランスに逃亡した。その故を以て議会はジェームズ2世はイギリスの王位を投げ捨てたと考え、即ちイギリスの王座は空位であるということで、ウィリアム3世とメアリー2世の即位につながったらしい。


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