ロンドンの金融街シティで見かけるロンドン・ウォールの遺跡イギリスの首都ロンドンのビジネスの中心地金融街シティの中をバスやタクシーで走っていると、近代的なビルの合間に、下の画像にあるような壁の残骸を見るかもしれない。
これが実は昔のシティを取り囲んでいた城壁、つまりはロンドン・ウォールの遺跡だったりする。シティの北側には、ロンドン・ウォールという通りがあるんだけど、かつてはここを城壁がめぐっていた。だから、この通りの両側では、ちらほらとロンドン・ウォールの遺跡を見ることができるんだ。 シティで見る中世・古代の遺跡はロンドンの土台かもこのロンドン・ウォールなんだけど、基本的には中世のものなんだそうな。
でも、ロンドン・ウォールの遺跡の土台部分には、かつてロンドン(ロンディニウム)を築いた古代ローマ帝国時代のものもあるんだそうな。近代的なビルの立ち並ぶ今のロンドン、その土台をなすものは古代や中世だったりする・・・ということなのかもね。 シティ・ウォール(市壁)はヨークやカンタベリーにもこのロンドン・ウォールのようにシティ・ウォール(市壁)を持っているのは、ロンドンだけじゃないんだ。例えば、イングランド南部のカンタベリーにもある。イングランド北部のヨークにもシティ・ウォールや城門が残っている。ウェールズ北部のカーナフォンもかつて市壁に囲まれていた。ウェールズに近いチェスターにもシティ・ウォールがある。いずれも古い歴史のある街だよね。カンタベリーは聖アウグスティヌスがローマ・カトリックの布教をした街だね。ヨーク(古くはエボラクムと呼ばれた)は西暦71年に古代ローマ帝国によって築かれている。ウェールズ北部のカーナフォンは古代ローマ帝国のブリタニア総督アグリコラがケルト人の反乱を鎮圧して建設している。チェスターもその頃に築かれた城塞都市だね。
その後のロンドン・ウォール古代ローマ帝国は、ロンドンだけではなく、その支配領域であるブリタニア(イギリス)南部を北方のピクト人から守るために、今のスコットランドとイングランドの国境近くにハドリアヌスの長城(城壁)を築いた。ところが、その長城を越えてピクト人が侵攻し、ロンドンまでも略奪したことがあるんだそうな。その他にもヨーロッパ大陸からはアングロ・サクソン人などが襲撃してきた。そんなこんなで結局は古代ローマ帝国はブリタニア(イギリス)から撤退しちゃった。 でも、ロンドンを取り囲むロンドン・ウォールはその後も維持されたらしい。というよりもむしろ中世のイングランドは、古代ローマ帝国が築いたロンドン・ウォールを維持することしか出来なかったと考える人もいる。
ロンドンの地下の発掘ラッシュそんな歴史あるロンドンなんだけど、この数年においてあちこちで様々な遺跡が発掘されているんだそうな。まずは西暦2009年に始まった東西を結ぶ新しい地下鉄路線の建設工事に伴う発掘だ。この工事によって 42kmにわたるトンネルが掘られるらしいけど、その結果として多くの遺跡や出土品が発掘されているんだそうな。加えて、コードウェイナー地区におけるビルの建設工事の為に地下 12メートルまで掘った結果、古代ローマ時代の街が出てきたらしい。住宅や店舗などの遺跡が発見され、陶器やコインなどの出土品は1万数千点にも及んでいるとか。しかも、水分の多い土に埋まっていたことから出土品の保存状態も良いらしい。そんなわけでここでの発掘の成果からは1世紀頃のロンドンでの暮らしが見えてきているんだそうな。イタリアのポンペイを思い出させるよね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|