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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ロンドンの風景(イギリス)
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一人で歩いたコベント・ガーデン(ロンドン)
夏の夕方に一人で軽く食べたいとき、私がよく来ていたのがコベント・ガーデンだった。特にロンドンに着任して間もない頃、家内が日本を出てくる前の一人暮らしの頃には、よくここで食事をしたもんだ。
私が好きだったのは、コベント・ガーデンの広場に面したブラッサリー。道ばたに並べられたテーブルの一つに陣取り、ワインやビールを飲みながら、チーズやオリーブをかじりながら、人々を眺めていると、ちっとも飽きなかったねえ。
広場にやってくるのは、地元の人々や世界各国の観光客。時には上の画像のように、多くの人々が集まってきたりしたんだ。
コベント・ガーデンで人々を集めた 大道芸人やミュージシャンたち
下の画像のように、道端でパフォーマンスを見せる大道芸人の周囲には、人だかりができることもあったよ。もちろん、誰の目をもひかない気の毒な大道芸人もいたけどね。
時にはミュージシャンも登場する。左の画像の女性は、朗々と歌い上げるオペラ歌手だったよ。
コベント・ガーデンでは占い師を見かけることもあった。右上の画像のカップルは、恋の行方を占ってもらっているのかな。
コベント・ガーデンの歴史
元々このあたりはウェストミンスター寺院の土地だった。そこで栽培された野菜は、ロンドンの人々の胃袋に入っていたんだそうな。その後、イングランド王ヘンリー8世がこの土地を取り上げ、以後は貴族たちの手を転々としている。
17世紀にはこのコベント・ガーデンに食べ物の市場が設けられた。でも、ここで処刑が行われたりもしたらしい。例えば、西暦1649年にイギリス国王チャールズ1世の処刑に至った清教徒革命の際のことだけど、ウェールズ南部のペンブローク城に籠城した国王派の指導者を、このコベント・ガーデンで処刑したんだそうな。ちなみに、そのペンブローク城というのは、テューダー家のイングランド王ヘンリー7世が生まれた場所だったりする。
その後もコベント・ガーデンの市場では活発に取引が行われていた。ところが、20世紀に入ると、周辺の交通渋滞がひどくなり、コベント・ガーデンの市場に荷物を運び入れることも難しくなってしまった。というわけで、西暦1980年に市場はテムズ川の南側に移転し、コベント・ガーデンは多くの人々が他の住む場所になったわけだ。
コベント・ガーデンではスリに御用心 !!
ところで貴方、バッグやお財布は大丈夫かな。コベント・ガーデンにはスリが多いんだ。大道芸人やお店に気を取られている間に、お財布とかをすられないように気をつけてね。
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ヨーロッパの歴史風景
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