東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ロンドンの風景(イギリス)

イギリス王家ゆかりの
ウェストミンスター寺院 (ロンドン)

ウェストミンスター寺院へ行くはずが・・・

ロンドンに遊びに来ていた家内のお父さんがウェストミンスター寺院を見たいと言う。そういえば、その時点では私も見たことが無かった。というわけで、土曜日にはウェストミンスター寺院にご案内。

ウェストミンスター・カテドラルは間違い ...

ウェストミンスター・カテドラル 天気は良いのだけど、今日は気温が低い。電車を乗り換えるのも面倒だ。

というわけで、街でタクシーを拾い「ウェストミンスター・カテドラルまで」。

連れて行かれたのが、右の聖堂。「なんか違うぞ ・・・ 」と思ったけど、相手はロンドン・タクシーだ。間違えることも無いだろう。

正しくは、ウェストミンスタ・アビー

ところが、これが大間違い。私達が行きたかった場所じゃないよ !! といっても、ロンドン・タクシーの運転手が間違えたわけじゃない。

日本人の私達は「ウェストミンスター寺院」なんて呼ぶけれども、英語にすると少々ややこしいんだ。歴代のイギリスの国王が戴冠式を行うのは、イングランド王ヘンリー8世が作った英国国教会の「ウェストミンスター・アビー」。対して、上の聖堂は「ウェストミンスター・カテドラル」。つまり、イタリアの首都ローマサン・ピエトロ大聖堂を総本山とする教皇に従うカトリックの教会なんだ。

つまり、ロンドン・タクシーの運転手は、指示どおりに間違いなく連れて行ってくれたわけだ。間違えたのは、この私 ・・・ 申し訳ない。

今度こそ、ウェストミンスター・アビー

というわけで、次の週末に再びお出かけ。今度は間違いなく、「ウェストミンスター・アビー」とロンドン・タクシーの運転手に告げる。ようやくたどり着いたウェストミンスター・アビー。その基礎を築いたのは、最後のアングロ・サクソン系のイングランド王エドワード懺悔王だった。11世紀のこと。

イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター・アビー

その後、イングランドを征服したノルマン系ウイリアム1世(征服王ウィリアム)がここで戴冠式を行って以後、プランタジネット家のヘンリー2世など代々の国王がそれに続いている。

また、この寺院には代々のイングランド王の墓もある。上に書いたエドワード懺悔王やエリザベス1世などなど。ちょいと変わったところでは、エリザベス1世に処刑されたスコットランド女王メアリー・スチュアートもこのウェストミンスター寺院に葬られている。彼女の息子がイングランド王ジェームズ1世になったということもあってね。スコットランドといえば、イングランド王エドワード1世によって運び去られた運命の石(スクーン・ストーン)も数百年にわたってこのウェストミンスター寺院に置かれていたらしいよ。

最初は興味深く説明の掲示を読みながら歴代の墓を見て歩くんだけど、そのうち疲れてくる。しかも、同じような名前の王様が多いし、 ・・・ 最後はいい加減になってしまう。観光って、気合と根性と体力だよね。

そうそう、このウェストミンスター寺院は王家のお墓があるだけじゃない。イギリスの女王エリザベス2世は西暦1947年にここでフィリップ殿下と結婚式を挙げている。その5年後にイギリス女王エリザベス2世として即位したんだ。ちなみに、西暦2012年にはエリザベス2世は結婚65周年を祝ったらしい。結婚65周年を夫婦そろって祝うのは、イギリスの君主では初めてのことだったそうな。

もう一つ忘れていた。「ウェストミンスター」という名前なんだけど、文字通り「西の僧院」。西暦970年にベネディクト派の修道士が僧院(ミンスター)を建てた。それが金融街シティ(つまり当時のロンドン)の西(ウエスト)にあったものだから、ウェストミンスター。簡単です。

ごめんね、お義父さん

上に書いたようなわけで、寒いのに余計な寺院を歩かされてしまったお義父さん。どうもすみませんでした。でもさ、ウェストミンスター・アビーを見た日本人は多いけど、わざわざウェストミンスター・カテドラルを見た日本人は少ないと思いますよ。貴重な経験ですよ !!

ウェストミンスター寺院から暴かれたクロムウェル

基本的に、英国国教会のウェストミンスター寺院には、イングランド王家ゆかりの人々が葬られているよね。でも、あの清教徒革命の立役者のオリバー・クロムウェルも亡くなった際にここに葬られたんだ。

ところが、西暦1660年のイギリスの王政復古によって王となったスチュアート家のジャールズ2世は、ウェストミンスター寺院に眠っていたオリバー・クロムウェルの遺体を掘り出しちゃった。

それどころか、既に亡くなっているクロムウェルを、中世からの歴史あるタイバーンの処刑場(今のマーブル・アーチのすぐそば)で処刑しちゃったんだ。革命の結果とはいえ父であるチャールズ1世を処刑したクロムウェルが憎かったんだろうね。

ついでながら、チャールズ1世の死刑執行命令に署名した人物は、ウェールズ南部チェプストウ城に22年間にわたって幽閉され、その城で77歳で亡くなっている。王政復古後のチャールズ2世の父親の処刑に対する報復の念はよっぽど強かったんだね。

イギリスで苦労しているカトリック

私はとっても不注意にも英国国教会のウェストミンスター寺院とカトリックのウェストミンスター寺院とを間違えてしまった。でも、実はカトリックの皆さんに申し訳ないなという気持ちがわいているんだ。というのも、イギリスではカトリックの皆さんは長く苦労しているから。

基本的にヘンリー8世による英国国教会の設立から、イングランドのカトリックは様々な意味で差別されてきた。その結果、西暦1605年にはガイ・フォークスなどが火薬陰謀事件を起こしたわけだ。

王政復古の後も、カトリックに対する反感はくすぶっていた。その結果、西暦1678年には捏造によるカトリック陰謀事件が起こり、多くのカトリックの人々が犠牲になっている。

西暦1685年にはカトリックのイギリス国王ジェームズ2世が即位した。でも、すぐに名誉革命によってジェームズ2世が国を追われてしまった。

その後もイギリスでカトリックは差別され、カトリック教徒解放法が出たのが西暦1829年のことだった。そして、私が間違えたカトリックのウェストミンスター大聖堂の建設が始まったのが西暦1895年のこと。イギリス女王エリザベス2世がウェストミンスター大聖堂の典礼に参加したのが西暦1995年だったらしいけど、それがヘンリー8世以来のことだったらしい。

禅宗のお寺での法事に出る私は英国国教会とカトリックのいずれも応援するわけじゃないけど、そんなカトリックの歴史はちょいと書いておかなきゃなと思ったわけだ。



仲間がいた !!

2002年8月、ロンドンで休暇をすごしている「おがわサン」からメールを戴きました。おがわサンもウェストミンスター・カテドラルとウェストミンスター・アビーを間違えちゃったんだそうですよ。仲間がいたなんてウレシイ !! せっかくですから、おがわサンの同意を得て、メールを掲載させて戴きました。

キクさん、奥さん、はじめまして。突然のメール失礼します。ただいまロンドンの友人宅で夏休みを過ごしている身ですが、キクさんのサイト大変参考にさせていただいています。

滞在4日目、すでに半分は過ぎてしまったのですが、初日から「ウェストミンスター・カテドラル」に行ってしまうなど、早くからサイトを見ていればよかった!!!と思うような失敗をしたりしています。

でも仕事を離れ骨休みをかねて、の〜んびりいろいろと回り、ロンドンで働いている友人達と会ったりして、思い出に残る夏休みになりそうです。

今日はマイ・フェア・レディを見てきました。コベント・ガーデンのすぐそばの劇場で見ると、やっぱり感慨もひとしおですね。

またサイトを参考にさせていただきつつ、残りの滞在を楽しみたいと思います。

おがわサン、メールを有難うございました。いやはや、同じ失敗をされた方が他にもいらっしゃったんですねえ。お義父さんにも知らせなきゃ。

ところで、おがわサン、その後もロンドンでの休暇を満喫されているようです。また楽しい失敗などあれば、メールで教えてくださいね。いや、失敗でなくても良いのですけど・・・。


次のページは「ビッグ・ベン(ロンドン)」


ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2004-2013 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。