東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヨークと泉の修道院(イギリス)

13. ヨーク・ミンスター(大聖堂) -3

ヨーク・ミンスター(大聖堂)のステンド・グラス 5人姉妹の窓

歴史あるヨーク・ミンスター(大聖堂)の中には、様々なお宝もある。その一つが下の画像にある 5人姉妹の窓とも呼ばれるステンド・グラスかな。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)にあるステンド・グラス 5人姉妹の窓(イギリス)

このステンド・グラスは、西暦1260年頃のものと考えられている。でも、その一部は、今の大聖堂が建てられる前、12世紀前半に損傷した大聖堂にあったものではないかと考えられるんだそうな。

ヨークシャーのハート

続いては、下の画像にあるステンド・グラス。西側の大窓で見ることができるんだ。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)にあるステンド・グラス ヨークシャーのハート(イギリス)

窓の上の方にあるハートの形から、「ヨークシャーのハート」と呼ばれているらしい。ロバート・ケテルバーンという職人によって西暦1338年に作られたものなんだそうな。

破壊された聖母子像

ヨーク・ミンスター(大聖堂)にある聖母子像(イギリス) 右の画像にある13世紀の聖母子像も、ヨーク・ミンスターのお宝の一つなんだそうな。

でも、西暦1902年に修復されてはいるものの、オリジナルの聖母の顔と幼いキリストの頭部は16世紀に破壊されたらしい。

そんな破壊の背景にあったのが、宗教改革だった。イングランド王ヘンリー8世ローマ教皇と訣別したのをきっかけに、プロテスタントの動きがイングランドで活発になり、その結果として聖像破壊などが起こったらしい。

ローマ・カトリックから見れば、聖母マリアと幼いキリストの像を破壊するなんて悪魔の所業だったんだろうね。逆にプロテスタントから見れば、聖書を通じて直接に神の教えを学ぶことなく、単なる石の彫刻を崇拝させる教会は悪魔の組織だったんだろう。宗教は難しい ・・・ 。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)のチャプター・ハウス

ヨーク・ミンスターの北側には、13世紀に建てられたチャプター・ハウス(聖堂参事会会議場)もある。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)のチャプター・ハウスの天井装飾(イギリス)

その天井の装飾が、上の画像に見るようにきれいなんだ。但し、この天井装飾は西暦1798年に修復されて、西暦1976年に彩色し直されたものなんだそうな。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史

せっかくだから、ちょいとここでヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史をまとめておくかな。

  • 西暦625年、ノーザンブリア王エドウィンがイングランド南部のケント王の娘のエセルブルガと結婚した。聖アウグスティヌスの布教によってケント王国は既にキリスト教を受け入れており、王女エセルブルガもキリスト教徒だった。

  • 西暦627年、ヨークで最初の教会(聖使徒ペテロ教会)が木造で建てられ、ノーザンブリア王エドウィンがそこで洗礼を受けた。(このエドウィン王がスコットランドに侵攻し、「エドウィンの街」という意味でエディンバラの名がついたとの説もある。)

  • 西暦633年、ウェールズのグウィネズ王国とアングロ・サクソンのマーシア王国の連合軍と戦ったエドウィン王が戦死。ヨークが略奪された。しかも、エドウィンを継承した王はキリスト教を捨ててしまった。

  • 西暦735年、ヨークの司教が大司教とされた。

  • 西暦867年、ヨークの街が異教徒のヴァイキングの手に落ちた。

  • 西暦954年、アングロ・サクソン人がヨークの街をヴァイキングから奪い返した。

  • 西暦1069年、イングランド征服王ウィリアム1世とその支配に反抗するアングロ・サクソン貴族及びデーン人との戦いにより、ヨーク・ミンスターが焼失した。

  • 西暦1079年、ヨーク・ミンスター(大聖堂)の再建が始まった。

  • 西暦1220年、今のヨーク・ミンスター(大聖堂)の建設が始まった。

  • 西暦1354年、ローマの教皇インノセント6世が、以下と定めた。(よくわからないけど、要はカンタベリーの大司教の方が上みたい。)

    • カンタベリー大聖堂の大司教は「全イングランドの主席司教」
    • ヨーク大聖堂の大司教は「イングランドの主席司教」

  • 西暦1472年、現在のヨーク・ミンスター(大聖堂)が完成した。

  • 西暦1514年、イングランド王ヘンリー8世の腹心の部下だったトマス・ウォルゼーがヨーク大司教となった。(ちなみに、この大司教は、後にロンドン郊外の豪勢なハンプトン・コート宮殿をヘンリー8世に献上している。ところが、大司教は西暦1530年に反逆罪で逮捕され、ロンドンに連行される途中で亡くなっている。)

  • 清教徒革命の最中の西暦1643年、王党派のたてこもるヨークを議会派の軍が包囲した。翌年にヨークは開城したが、その際にヨーク・ミンスター(大聖堂)が破壊されるのを議会軍の指揮官だったトマス・フェアファックスが防いだ。

    ちなみに、チェスターも王党派として籠城し、議会派の軍に包囲され、後に降伏して開城している。その際にはチェスター大聖堂が破壊されたらしい。

ヨークとカトリック

ヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史に続けて、ヨークとカトリックの話。ヨークなどのイングランド北部では、伝統的にカトリックが根強かった。

というわけで、ヘンリー8世の時代には修道院の解散に反対する恩寵の巡礼のような反乱が起こっている。その指導者のロバート・アスクは法律家としてロンドンのグレイズ・イン(法律学校なんだけど、その庭はフィッシュ・アンド・チップスを食べるのに最適だったりする)のフェローだったけれども、恩寵の巡礼の指導者とされ、やがてヨーク城のクリフォード・タワーに吊るされて処刑されたんだけど。

スチュアート家のジェームズ1世が王となった後の西暦1605年にはカトリックのガイ・フォークスなどによる火薬陰謀事件が起こっているけど、ガイ・フォークスもヨークの出身だったらしい。

そんなカトリックの根強いヨークではあったけれども、西暦1685年にイギリス国王となった同じカトリックのジェームズ2世に対しては、イギリス南西部にオランダのオレンジ公ウィリアムが上陸した後にヨークでも反カトリックの暴動が起き、名誉革命の成功に貢献したらしい。


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