ヨーク・ミンスター(大聖堂)のステンド・グラス 5人姉妹の窓歴史あるヨーク・ミンスター(大聖堂)の中には、様々なお宝もある。その一つが下の画像にある 5人姉妹の窓とも呼ばれるステンド・グラスかな。
このステンド・グラスは、西暦1260年頃のものと考えられている。でも、その一部は、今の大聖堂が建てられる前、12世紀前半に損傷した大聖堂にあったものではないかと考えられるんだそうな。
ヨークシャーのハート続いては、下の画像にあるステンド・グラス。西側の大窓で見ることができるんだ。
窓の上の方にあるハートの形から、「ヨークシャーのハート」と呼ばれているらしい。ロバート・ケテルバーンという職人によって西暦1338年に作られたものなんだそうな。
破壊された聖母子像右の画像にある13世紀の聖母子像も、ヨーク・ミンスターのお宝の一つなんだそうな。でも、西暦1902年に修復されてはいるものの、オリジナルの聖母の顔と幼いキリストの頭部は16世紀に破壊されたらしい。 そんな破壊の背景にあったのが、宗教改革だった。イングランド王ヘンリー8世がローマ教皇と訣別したのをきっかけに、プロテスタントの動きがイングランドで活発になり、その結果として聖像破壊などが起こったらしい。 ローマ・カトリックから見れば、聖母マリアと幼いキリストの像を破壊するなんて悪魔の所業だったんだろうね。逆にプロテスタントから見れば、聖書を通じて直接に神の教えを学ぶことなく、単なる石の彫刻を崇拝させる教会は悪魔の組織だったんだろう。宗教は難しい ・・・ 。
ヨーク・ミンスター(大聖堂)のチャプター・ハウスヨーク・ミンスターの北側には、13世紀に建てられたチャプター・ハウス(聖堂参事会会議場)もある。
その天井の装飾が、上の画像に見るようにきれいなんだ。但し、この天井装飾は西暦1798年に修復されて、西暦1976年に彩色し直されたものなんだそうな。
ヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史せっかくだから、ちょいとここでヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史をまとめておくかな。
ヨークとカトリックヨーク・ミンスター(大聖堂)の歴史に続けて、ヨークとカトリックの話。ヨークなどのイングランド北部では、伝統的にカトリックが根強かった。というわけで、ヘンリー8世の時代には修道院の解散に反対する恩寵の巡礼のような反乱が起こっている。その指導者のロバート・アスクは法律家としてロンドンのグレイズ・イン(法律学校なんだけど、その庭はフィッシュ・アンド・チップスを食べるのに最適だったりする)のフェローだったけれども、恩寵の巡礼の指導者とされ、やがてヨーク城のクリフォード・タワーに吊るされて処刑されたんだけど。 スチュアート家のジェームズ1世が王となった後の西暦1605年にはカトリックのガイ・フォークスなどによる火薬陰謀事件が起こっているけど、ガイ・フォークスもヨークの出身だったらしい。 そんなカトリックの根強いヨークではあったけれども、西暦1685年にイギリス国王となった同じカトリックのジェームズ2世に対しては、イギリス南西部にオランダのオレンジ公ウィリアムが上陸した後にヨークでも反カトリックの暴動が起き、名誉革命の成功に貢献したらしい。
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