ヨーク・ミンスター(大聖堂)の中へいよいよ、ヨーク・ミンスター(大聖堂)の中に足を踏み入れる。今日は土曜日だから、ミサも無く、観光客も自由に入ることができるんだ。ミサが行われる日曜日には、イングランド王ヘンリー8世が設立した英国国教会の信者しか入れないこともあるんだそうな。
イングランド最大のゴシック式聖堂と言われるだけのことはある。内部の空間も大きく広いね。
ちなみに、このイングランドのゴシック様式の聖堂なんだけど、フランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂の影響を受けているらしい。フランス国内でも、例えばパリのノートルダム大聖堂やシャルトル・ブルーのステンド・グラスで名高いシャルトル大聖堂も、そのサン・ドニ大聖堂のゴシック様式に影響されたんだそうな。
他方で、このイギリスのヨーク・ミンスター(大聖堂)は、ポルトガルにあるバターリャ修道院(勝利の聖母マリア修道院)に影響を与えたらしい。そのバターリャ修道院はポルトガル王ジョアン1世が建立したんだけど、彼のカスティーリャとの戦いをイギリスが支援したということも関係したのかもしれないね。
ヨーク・ミンスター(大聖堂)の聖歌隊席スクリーン上の画像の奥の方に見えているのが聖歌隊席のスクリーンなんだけど、それを間近に撮影したのが下の画像。資料によれば、イングランド建築の大傑作とされるものらしい。西暦1490年頃の作品なんだそうな。
上の画像に見えるように、聖歌隊席スクリーンには15人の彫像がある。ノルマン・コンクエスト以後の15人のイングランド王の彫像なんだそうな。
15人のイングランド王たちノルマン・コンクエスト以後の15人のイングランド王と言えば、征服王ウィリアム1世からヘンリー6世までなんだそうな。ウィリアム1世はもちろんなんだけど、その他にも興味深いのは以下の王様たちだよね。
ヨーク家最後のイングランド王リチャード3世の遺骨上に書いた15人のイングランド王の中には含まれていないけど、ばら戦争の末期に戦死したヨーク家出身の最後のイングランド王リチャード3世の遺骨が西暦2012年にレスター市内の駐車場で発掘されたんだ。その遺骨はレスター大聖堂にあらためて葬られると一旦は発表されたんだけど、彼の子孫はヨーク家ゆかりのヨーク・ミンスターに埋葬されることを望んだらしい。その議論の結末がどうなったのかはまだわからないんだけどね。ちなみに、このリチャード3世はシェイクスピアが著した物語の主役でもある。但し、甥のエドワード5世から王位を奪い、ロンドン塔に幽閉して命を奪ったなどとされ、悪名高い人物でもある。それが史実なのかどうかはわからないけどね。
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