東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヨークと泉の修道院(イギリス)

04. ファウンテンズ修道院の廃墟を歩く

ファウンテンズ修道院(アビー)の正面入口

世界遺産にも指定されているファウンティンズ・アビーの壮大な建物に足を踏み入れる。下の画像は、かつての正面入口なんだそうな。

ファウンテンズ修道院(アビー)の入口(イギリス)

かつてのファウンテンズ修道院(アビー)においては、身廊の向こうに聖歌隊席、その奥には内陣や祭壇があったはず。でも、今となっては見ての通りに空と野原が見えるだけなんだけどね。

ファウンテンズ修道院の側廊

ファウンテンズ修道院(アビー)の側廊(イギリス) 続いては、ファウンテンズ修道院(アビー)の側廊が右の画像だ。

その側廊を歩く。かつては、ここで修道士達が祈りを捧げていたかもしれないよね。

でも、静けさだけは昔も今も変わっていないはずなんだ。

というのも、規律の厳格なシトー派では、会話が許されたいなかったんだそうな。修道士たちは互いに身振りで意思の疎通を行うことになっていたらしいよ。

ファウンテンズ修道院の食糧倉庫と食堂

下の画像は、ファウンテンズ修道院(アビー)の中にある食糧倉庫 兼 修道士の食堂なんだそうな。これほどに保存状態の良いものは、イギリスでは他に例がないらしい。

ファウンテンズ修道院(アビー)の食糧倉庫 兼 食堂(イギリス)

大きくて立派な食糧倉庫だよね。でも、創建当初のファウンテンズ修道院(アビー)は、組織の維持が出来ないほどに困窮していたんだそうな。故に援助を求めてシトー派に属することになったらしい。


シトー派に援助を仰ぐ

  • 新しい修道院ファウンティンズ・アビーを創建した翌年の1133年には、早くも危機が訪れた。彼らが新しい修道院を築いた場所は耕作には不向きであり、外部の援助なくしては修道院を維持することさえ出来なかったんだ。

    故にフランスを中心に多くの支持を集めていたシトー派修道院に支援を求めざるを得なくなった。

    シトー派に属した結果、世俗修道士 Lay Brothersの制度が取り入れられ、修道院の財政状態は大幅に改善した。


修道僧 Choir Monks と
世俗修道士 Lay Brothers
  • 本来の修道士である Choir Monks は、祈りを以て神に捧げる。

  • 対して、世俗修道士 Lay Brothers は、労働を以て神に捧げる。

    世俗修道士は羊の世話をし、建物の管理を行う。彼らの祈りの時間は短く、睡眠時間は長く、より多くの食料を与えられていた。しかし、彼らは Choir Monksと共に修道院の中で生活し、共に礼拝していた。

余談だけど、シトー派の修道院としては、フランス南部プロヴァンス地方にあるラヴェンダーの花の鮮やかなセナンク修道院があるね。


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