ニース・エズ(フランス)とモナコ大公国の旅+ロンドン (2002年2月)
40. 大英博物館(ブリティッシュ・ミュージアム)
コベント・ガーデンまで歩いたところで、風に加えて霙まじりの雨。そろそろ潮時だ。タクシーに乗って向かったのは、大英博物館(右の画像)。 |
古代エジプトのファラオ 「ラムセス2世」まずはエジプトのコーナーで見たのが、古代エジプトのファラオ「ラムセス2世」の坐像。紀元前1270年頃のものだって。ちなみにラムセス2世といえば、古代エジプトでもスター的な存在なんだ。カルナック神殿にはパネジェムの巨像を残し、ルクソール神殿やアブシンベル大神殿には列柱を残している。 古代アテネの黄金時代を演出したペリクレス右の画像は、古代アテネの黄金時代を演出したペリクレスの胸像。紀元前5世紀半ばのもの。紀元前380年のサラミスの海戦、翌年のプラテーアの戦いでペルシアを打ち破ったアテネは、ギリシャの盟主としての地位を確立する。そんなアテネを紀元前462年から統治していたのが、このペリクレスなんだ。 ペリクレスは、アテネとピレウスの港を結ぶ城壁を築き、アクロポリスを再建してパルテノン神殿を築き、アテネ内部では民主的な改革を推進し、古代アテネに黄金時代をもたらした。 しかし、おごるアテネは久しからず。紀元前431年、スパルタとアテネとの間に戦争が始まった。いわゆるペロポネソス戦争。その2年後、ペリクレスは病死し、紀元前404年にはアテネは降伏したんだ。 ロゼッタ・ストーン大英博物館の中でも人気が高い展示品のひとつが、右の画像にあるロゼッタ・ストーンかな。いつも周囲を人々が取り巻いていて、近づくのも大変なんだ。紀元前196年頃に作られたロゼッタ・ストーンが発見されたのは、西暦1798年のこと。ナポレオンのエジプト遠征軍の分遣隊が、ナイル川のほとりのロゼッタ村(エル・ラシード村)で発見したんだ。 じゃあ、どうしてロゼッタ・ストーンはパリではなくて、ロンドンの大英博物館にあるの ?? ナポレオンがエジプト遠征軍を置いてパリに戻った後、エジプトのフランス軍はイギリス軍に敗れてしまった。その際に締結されたアレクサンドリア条約(1801年)の中で、このロゼッタ・ストーンはイギリス国王ジョージ3世のものになったんだ。そして、ジョージ3世は、ロゼッタ・ストーンを大英博物館に寄贈したというわけだ。 大英博物館はお宝の山他にも大英博物館には、たくさんのお宝があるよね。だけど、今回は上の3点で勘弁してくださいね。他のお宝は、また他の機会にご紹介できると思います。
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