ニース・エズ(フランス)とモナコ大公国の旅+ロンドン (2002年2月)
2002年2月20日(水曜日) 29. モナコの朝焼けと国境の道
モンテ・カルロの名門ホテル「オテル・ド・パリ」の中のレストラン 「ル・グリル」でディナーを楽しんだ夜はあっという間に終わり、もう翌朝だ。 |
ディナーの際に気持ちよく飲んで、ぐっすりと眠ったから、少しは時差ぼけも取れたんだけど、それでも目覚めはまだ早い。 そのおかげで、他で見たことが無いほど鮮やかに燃え上がった朝焼け(右の画像)を見ることが出来たんだ。 |
ホテルの部屋のテラスに出てみれば、すぐ下のヨット・ハーバーも真っ赤に燃え上がっている。 コート・ダジュール(青い海岸)の海も、こんなに赤く染まることがあるんだねえ。 |
モナコとフランスの国境の道でもね、朝焼けがどれほど鮮やかに燃え上がろうと、それは別世界のこと。それで仕事がなくなるわけじゃないんだ。やっぱり今日もオフィスに向かってホテルを出るわけさ。話は変るけど、右の画像はホテルからオフィスに向かう途中で撮った国境の画像。 そ、右の画像にある道が国境なんだ。道の右側はフランス、左側はモナコというわけだ。 フランスとモナコの微妙な関係どうってことのない道を国境としているフランスとモナコ。でも、その両国の間には微妙な関係があるんだ。フランス革命が勃発した後、西暦1793年にはモナコはフランスに併合されている。その後、西暦1914年にフランス皇帝ナポレオンが退位した後、13世紀からの歴史を持つモナコ大公家グリマルディ家が復帰。 その後、西暦1861年にはフランスがモナコ大公国の主権を承認している。でも、第一次世界大戦後の西暦1918年に結ばれたフランス・モナコ条約には、モナコ大公家たるグリマルディ家断絶の場合にはモナコはフランスの中の自治国となるなどの微妙な条項がある。
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