要塞のようなモン・サン・ミシェルに登るバスを降り、駐車場近くの城門をくぐり、跳ね橋を渡って世界遺産 モン・サン・ミシェルに入る。8世紀の教会から発して修道院として発展したモン・サン・ミシェルだけど、要塞のように堅固な守りを持っているんだ。![]()
そしてモン・サン・ミシェルの修道院の上まで登り、周囲を眺めたのが上の画像。修道院からの眺めというよりは、要塞のようなお城からの眺めみたいだよね。
フランス王フィリップ2世のノルマンディー占領とモン・サン・ミシェル先に書いたように、ノルマン人ロロ(ロベール)の時代からノルマンディー公の支援を受け、イングランド征服王ウィリアム1世のノルマン・コンクエストを支持したモン・サン・ミシェルの修道院は、プランタジネット家のイングランド王ヘンリー2世とも深いつながりを保っていた。その後、イングランド王リチャード獅子心王が築いたガイヤール城を西暦1204年に攻略したフランス王フィリップ2世尊厳王(オーギュスト)は、イングランド王ジョン失地王からノルマンディー地方を奪い取った。 その戦火によってモン・サン・ミシェルの修道院も損傷を受けてしまった。そのモン・サン・ミシェルの修道院の修復の為に(そして関係を深める為に)、フランス王フィリップ2世は財政的な支援をしたらしい。その支援を受け、モン・サン・ミシェルの修道院は島の守りを固めたんだそうな。 その後、フランスの首都パリにサント・シャペルを築いたり、シャルトル・ブルーで名高いシャルトル大聖堂を完成させたフランス王ルイ9世(聖ルイ王)も、西暦1254年にモン・サン・ミシェルを訪れている。その際、聖ルイ王は島の守りを更に固めるようにと指示したんだそうな。
フランスとイングランドの百年戦争とモン・サン・ミシェルそして下の画像は、モン・サン・ミシェルの修道院の上から眺めた海。少し離れた海の中に岩のような小さな島(トンブレンヌ島)が見えるでしょ。あの島はフランスとイングランドとの百年戦争の際にイングランド軍に占領されていたらしい。もちろん、このモン・サン・ミシェルも百年戦争に巻き込まれたんだね。![]()
軍事的にも宗教的にも重要な拠点モン・サン・ミシェルを守り通すことはフランスにとって大きな意味を持っていた。百年戦争時代のフランスの英雄ベルトラン・デュ・ゲクランがモン・サン・ミシェルの守備隊長だった時期もあるんだそうな。
ラ・メルヴェイユの上の廻廊数百年間に何度も戦火に巻き込まれたモン・サン・ミシェルなんだけど、その修道院の建物の建築工事も長い年月の間に何度も行われている。その結果、ロマネスク様式の建物もあれば、ゴシック様式の建物もあるというわけだ。そんなモン・サン・ミシェルの修道院の中でも、ゴシック様式の部分をラ・メルヴェイユ(「驚異」)と呼ぶらしい。そのラ・メルヴェイユの最上階にあるのが、下の画像にある廻廊なんだ。 ![]()
この緑の庭園を取り囲む廻廊は、海面から 79メートルの高さにあるらしい。モン・サン・ミシェルの修道院の修道士たちは、この廻廊を歩き、神について語り、瞑想をしたらしい。今では多くの観光客(私たちも)が歩く人気のスポットで賑やかなんだけどね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|