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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
カンパーニャ と ローマ・ヴァティカン イタリア
第四部 ローマ・ヴァティカン編
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D27. ベルニーニのブロンズのバルダッキオ(天蓋) (サン・ピエトロ大聖堂 -6.)
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ミケランジェロのクーポラ(円屋根)と ベルニーニのブロンズのバルダッキオ(天蓋)
サン・ピエトロ大聖堂にピエタ(哀しみの聖母)像を残したミケランジェロのクーポラ(円屋根)の下に据えられているのが、ベルニーニの手によるブロンズのバルダッキオ(天蓋)なんだ。(右の画像)
古典を重視するルネッサンス芸術の代表者ミケランジェロと、古典を出発点としながらも奔放に想像力を働かせたバロック芸術の代表者ベルニーニの興味深いコントラストなのかもしれないね。
聖ペテロの墓の上に据えられた ベルニーニのブロンズのバルダッキオ(天蓋)
このベルニーニによるブロンズのバルダッキオ(天蓋)は、聖ペテロの墓の上に据えられているんだ。言うまでもなく聖ペテロは、ローマ・カトリック教会の基礎を築いたと信じられている人物だよね。
下の画像に写っているのがベルニーニのバルダッキオ(天蓋)なんだけど、9年の歳月をかけたバルダッキオが完成したのは、西暦1633年のことだったそうな。
上の画像に見えるように、このバルダッキオ(天蓋)の特徴はねじれた柱だよね。このねじれた柱はベルニーニのアイデアと考える人もいるんだけど、実はそうでもないらしい。
古代ローマ皇帝コンスタンティヌスによる旧サン・ピエトロ大聖堂にあったバルダッキーノ(天蓋)にもねじれた柱が用いられていたんだそうな。当時の人々は、その柱がエルサレムのソロモンの神殿にあったものだと考えていたらしいよ。
ローマ法王ウルバヌス8世とベルニーニ
ベルニーニのバルダッキオ(天蓋)の土台で見たのが、右の画像にある蜜蜂の紋章。どこかで見たことがあるでしょ。
ヴァティカン博物館の中のウルバヌス8世の礼拝堂にもあったよね。つまり、ウルバヌス8世の生家バルベリーニ家の紋章だね。どうしてこの蜜蜂の紋章がここにあるかといえば、このバルダッキオとウルバヌス8世とが密接な関係にあったから。
フィレンツェの商家バルベリーニ家のマッフェオ・バルベリーニが、ローマ法王ウルバヌス8世として即位したのは西暦1623年のこと。その翌年、ウルバヌス8世は若手彫刻家ベルニーニ(当時25歳)に、バルダッキオ(天蓋)の制作を命じたんだ。
余談ながら、三十年戦争の嵐の中にあった当時のヨーロッパでは、ブロンズが不足していたんだって。各地からブロンズを輸入したのはもちろんなんだけど、古代ローマ時代のパンテオンのポルティコに使われていたブロンズまで使って、このバルダッキーノを制作したらしいよ。
もう一つ余談なんだけど、法王ウルバヌス8世は、気鋭の彫刻家だったベルニーニに絵画と建築を勉強するようにとも命じたんだそうな。そのおかげでベルニーニはサン・ピエトロ広場を残すことにもなったわけだ。そんな法王ウルバヌス8世は、バロックの巨匠ベルニーニを育て上げた人々の一人だとも言われているんだ。
ベルニーニのブロンズのバルダッキオ(天蓋)と カテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)
西暦1633年に完成したベルニーニのバルダッキオ(天蓋)。
サン・ピエトロ大聖堂に足を踏み入れると、奥行き 200メートル以上もある大聖堂の後陣(アプス)に据えられたカテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)が、ベルニーニのバルダッキオの中に見える。
ベルニーニは、バルダッキオが聖ペテロの司教座(カテドラ・ペトリ)の額縁の役割を果たすように配置などに工夫したらしい。
そのカテドラ・ペトリを制作したのもベルニーニなんだそうな。次のページでは、カテドラ・ペトリ(聖ペテロの司教座)をじっくりと見てみようか。
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