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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
イタリア北部
1996年9月
ウルビーノ公ロレンツォ 略年表
- 1492年、ロレンツォ・デ・メディチ (小ロレンツォ) 誕生。父は大ロレンツォの嫡子である「不運の」ピエロ・デ・メディチ。母はイタリアの名門出身のアルフォンシーナ・オルシーニ。
- 1494年、フィレンツェで反メディチ暴動が起こり、父ピエロと共にフィレンツェを脱出。母の実家オルシーニ家に身を寄せた。
- 1503年、フランス軍に従いスペイン軍と戦っていた父「不運」のピエロが溺死。
- 1512年、メディチ家がフィレンツェに復帰。
- 1516年、メディチ家出身の法王レオ10世が、当時のウルビーノ公であるフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレを破門した。小ロレンツォは、兵を率いてウルビーノを占領。ウルビーノ公となる。(ウルビーノはフィレンツェの東にある街。)
- 1518年、フランスを訪れた小ロレンツォは、フランス王フランソワ1世の従妹にあたるマドレーヌ・ド・ラ・トウール・ドオベルニュと結婚。
- 1519年、ウルビーノ公ロレンツォ死去。大ロレンツォの直系嫡出の男子相続人はいなくなった。(大ロレンツォの次男である法王レオ10世が生存していたが、聖職者であるために嫡男を得ることは期待できない。)
彼の死の5日後に、公妃マドレーヌも産褥のために死去。残された女児が、後のフランス王妃カトリーヌ・ド・メディチ。
下の画像は、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂に残るカトリーヌ・ド・メディチの墓碑。(サン・ドニ大聖堂と王家の墓に関して、詳しくはココをクリック。)
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