東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
グルジア 2000年3月
グルジア風もてなし
昨夜は飲みすぎてしまった。難民に占拠されているイベリア・ホテルを見た後、玉ちゃんの実家にご招待されたのだ。そこでワインを飲み始めたのが午後 3 時頃のことだった。
その後、玉ちゃんの叔母さんの家にも呼ばれた。そこに玉ちゃんの家族や親戚一同が集まり、私のための大宴会が始まった。
彼らのメンタリティは、古き良き日本の田舎の人々に似ている。宴会は何時間も続くのだ。(私の田舎では、披露宴というものは丸一日かけて行う。)
次から次へと料理とワインを出し、私をもてなしてくれる。玉ちゃんの伯父さんに叔母さん、従兄弟に従姉妹、次々と私に話し掛けてはグラスにワインを注いでくれる。
やがて演説が始まる。まずはテーブルの長を務める玉ちゃんのお父さんのスピーチ。最後に「はるばるロンドンから来た息子の友キクちゃんの健康のために !!」 と言いつつ、グラスを上げる。ワインを飲み干すのが礼儀だ、と親切にも玉の野郎が耳打ちする。
次いで叔父さんが話し始める。「日本とグルジアとの友好と発展を祈る。」 やけくそでグラスを空けるしかない。従兄弟、従姉妹のご主人達がそれに続く。(グルジアは古風な社会である。演説をするのは男ばかりだった。)
最後に私の番が来た。飲み始めて既に数時間、やけくそになってからは 2 時間は経っていた(と思う)。
実は何を話したのか定かではない。とっくに酔っ払って、覚えていないのだ。ともかく、私が話を終えると、テーブルの人々が一斉に私と乾杯をする。それぞれとグラスを合わせて飲み干し、再びグラスにワインが満たされ、次の人と乾杯。それがとどめだった。
午後3時から飲み始め、ホテルに戻った時は深夜になっていた。
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