東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ロンドンの風景(イギリス)

ウィリアム・ウォレスの記念碑 (ロンドン)

イギリスの中でスコットランドって
そして英雄ウィリアム・ウォレス

一言で「イギリス」というけれど、本当はいくつかの国が集まって出来ていることは、誰でも知っているかな。イングランド、ウェールズスコットランド、そして北アイルランドがイギリスを構成しているんだよね。

イギリスが複数の国で構成されているということは、今でも虚構ではなくて現実なんだ。例えば、スコットランドの沖合いに北海原油が発見されたとき、その利権を守るために「イギリス政府」とスコットランドとは綱引きをしていた。

スコットランド人の中には、今でも独立への気持ちを失っていない人もいる。私がロンドン金融街シティのオフィスで働いていた頃の同僚の一人にスコットランド人がいたんだけど、いつも彼は「あの時に負けてなかったらなあ ・・・ 」と言っていた。

彼が言っているのは、1746年4月16日のカロデンの戦いのことなんだ。インヴァネス近くのカロデンの原野で、スコットランドの独立派(というよりは、スコットランドから出たスチュアート王家あるいはその若君のボニー・プリンス・チャーリーを支持するジャコバイトと書くべきかな)とイギリス政府軍とが戦い、ジャコバイト軍が敗れた結果として実質的にスコットランドがイギリスに併合されてしまったという戦いなんだ。

そんな気持ちを抱き続けているスコットランド人の英雄の一人が、ウィリアム・ウォレス。そう、映画「ブレイヴ・ハート」の中でメル・ギブソンが演じたスコットランドの戦士。イングランド王エドワード1世によるスコットランド侵攻に対して戦った戦士だね。あの映画のポスターは、スコットランドの独立を訴える政党に使われたほど、スコットランドでは政治的な意味を持っていたらしいよ。

ロンドンにあるウィリアム・ウォレス処刑の地

ウィリアム・ウォレスのメモリアル (ロンドン、イギリス) ロンドン市内のレストランで食事を楽しんだ後、全く偶然にも店の近くで興味深いものを発見した。

それが右の画像にある記念碑だった。なんと、あのウィリアム・ウォレスが処刑された場所が、この付近だったと書いてある。

記念碑の下には、花束も捧げられている。彼を英雄として尊敬し続けているスコットランド人が置いたんだろうね。花束がいくつもあるところを見ると、少なくない数の人々がここに来るみたい。

スコットランドの英雄 ウィリム・ウォレスの記念碑

ウィリアム・ウォレスのメモリアルの文面 (ロンドン、イギリス) 右の画像は、ウィリアム・ウォレスに捧げられた碑文なんだ。

ちなみに、碑文の上にある黄色地に赤の立ち上がったライオンはスコットランドの国章。碑文の下の青地に白い斜め十字はスコットランドやイタリアのアマルフィなどの守護聖人になっている聖アンドレア(セント・アンドリュー)ゆかりのスコットランド国旗だよね。

その二つのスコットランド国旗に挟まれた赤地に白い立っているライオンは何だったっけ。よく見かけるけど。

ところで右の画像にある碑文の内容は文字が小さくて読めないよね。拙いながらも、下に和約してみるよ。多少意訳になっているから、英語の試験だったら減点なんだろうけどね。

サー・ウィリアム・ウォレスの
永遠の記念として


1270年にエルダースリーで生まれたスコットランドの愛国者。1296年から、母国の自由と独立を守るため、圧倒的な不利と著しい困難をものともせずに不屈の戦いを続けた。やがて、裏切りにより囚われの身となり、ロンドンに連行された後、この地において処刑されたのは、西暦 1305年8月23日のことだった。

しかし、彼の英雄的な行動と献身は、人々に戦いを続けさせる力となり、敗北の底から勝利を掴ませることとなった。彼の記憶は、誇り高き栄誉の永遠の源であり、同胞達を奮い立たせ続ける。

申し訳ない。最後の二行はラテン語で書かれているから、全く理解できないんだけど ... 。

ラテン語で書かれた最後の二行
(読者の方のお頼りから)

ラテン語で書かれた最後の二行は和訳を諦めていたのですが、このページを読まれた F.K. さんから助け舟を戴きました。以下をお読みください。



たまたま、興味本位でウォレスのことなど調べようと、検索し、迷い込んだものです。

碑文のラテン語のことがありましたので、おせっかいかと思いますが、お知らせいたします。

Dico tibi verum, libertas optima rerum;
Nunquam servili sub nexu vivito, fili.

ウォレスの言葉とも、ウォレスについた教師の言葉とも伝えられているようで、

My son, I tell thee soothfastlie,
No gift is like to libertie;
Then never live in slaverie.

と、翻訳されることが多いようです。
念のため、現代語っぽくすると、、、

My son, I tell you the truth,
No gift is comparable to freedom;
Then never live in slavery.

息子よ、我、汝に真実を伝えん
自由に並ぶ恩寵はなし
よって、決して虜囚として生くることなかれ

てなところでしょうか?



F.K.さん、おせっかいなんてとんでもありません。助かりました。有難うございます。また、教えてくださいね。

ウィリアム・ウォレスについて

ところで、スコットランド独立の戦士 ウィリアム・ウォレスについてもっと知りたい方は、このサイトの別館「ヨーロッパの歴史風景」の中にある「スコットランド独立の闘士 ウィリアム・ウォレス」のページに寄り道してくださいね。

スコットランド独立についての住民投票

西暦2012年、興味深いニュースが流れたね。イギリス政府とスコットランドの首相との間の協議がまとまり、スコットランド独立についての住民投票を西暦2014年に行うというものだった。

それから2年が経ち、西暦2014年09月18日にスコットランドの独立を問う住民投票が行われた。その結果は独立反対。300年ぶりに独立を回復するという夢は実現されなかったわけだ。このニュースをウィリアム・ウォレスはどう聞いたんだろうね。


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