ビッグ・ベンのついでに庭園史博物館続いてやってきたのは、ロンドンを流れるテムズ川の南側にある庭園史博物館。言うまでもなく、ガーデニングの歴史を見せてくれる博物館だね。(下の画像はガーデニングの道具の歴史の展示。)
ロンドンの観光ガイドなどによれば、この庭園史博物館の最寄り駅は、地下鉄ベーカールー線のランベス・ノース駅とある。それは正しいと思う。でも、実は距離的にはウェストミンスターから歩くのとさほど変わらない。
ロンドンの庭園史博物館の歴史このロンドンの庭園史博物館の歴史は短くて長い。というのも、庭園史博物館がオープンしたのは西暦1977年なんだけど、その建物は元は古くて由緒ある教会だったんだ。そのセント・メアリー教会の取り壊しを防いで活用したのが、この庭園史博物館だった。そのセント・メアリー教会は、アングロ・サクソン系最後のイングランド王エドワード懺悔王の妹によって西暦1062年に創建されたんだそうな。その創建当初は木造だったけれども、間もなく石造で再建されたらしい。 その後は何度も増築され、改修され、修復されている。19世紀の半ばには大幅な改築があり、更には20世紀に入っても手が加えられている。 ところが、第二次世界大戦が勃発すると、バトル・オブ・ブリテン(ナチス・ドイツ空軍によるロンドン空襲)によって、このセント・メアリー教会はひどく損傷したらしい。特にステンド・グラスの被害が大きかったらしい。19世紀の祭壇も破壊されてしまった。戦後の修復の際には、ステンド・グランスは通常のガラスに置き換えられたんだそうな。 その後もセント・メアリー教会の老朽化は進んでいった。しかも、テムズ川南岸のこの地域の人口も減少してしまった。そんなわけで、この教会は閉鎖され、やがて取り壊されることになったんだそうな。 ところが、そんな歴史ある教会の建物の取り壊しを中止させたいと考えた人たちがいた。彼らが教会の墓地を調べたところ、ここにジョン・トラデスカントが眠っていることが判明したらしい。 このジョン・トラデスカントは、17世紀に活躍したガーデニングの先駆者だった。清教徒革命で処刑されたイギリス国王チャールズ1世の庭園のガーデニングを任されたこともある人物だった。そんなわけで、このセント・メアリー教会を庭園史博物館にするというアイデアが出てきたんだそうな。
庭園史博物館の庭園そんな庭園史博物館の庭園の様子が下の画像なんだ。でも、敷地がさほど広くないだけに、この庭園はちょいと物足りないよね。
庭園に関しては、私はチェルシー・フィジック・ガーデンの方が興味深いように思うね。でも、ガーデニングの道具や書籍などについては、この庭園史博物館の展示は優れているね。
ロンドンの庭園史博物館の二つのお墓上の画像の左下の部分を少し大きくしたのが、下の画像なんだ。というのも、実はそこにとっても興味深いものが見えているから。
まずは上の画像の左端に暗く見えているお墓に注目だな。これがジョン・トラデスカントのお墓なんだ。上にも書いたけれども、17世紀初頭に活躍したガーデニングの先駆者なんだそうな。
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