東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

イングランド南部の旅(イギリス)

1994年4月


イングランド王ヘンリー2世 - 栄光と孤独
(プランタジネット家の帝国と挫折)

  1. ノルマンディー公ヘンリーの誕生
  2. イングランド王位
  3. 一族の争い
  4. リチャード獅子心王
  5. ジョン失地王

5. ジョン失地王
  • 1199年5月27日、ウェストミンスター寺院にてジョンがイングランド王として戴冠した。

  • 1200年6月、ジョンはポワティエ近郊にあるルジニャン家の城を訪れた。そこで、彼はルジニャン家(この一族からキプロスのルジニャン王家が出ている)のユーグの婚約者であるイザベラ(アングレーム伯爵の娘)に出会った。

    ジョン王はルジニャン家のユーグをイングランドの領土視察に派遣した。その結果、8月に予定されていたユーグとイザベラとの結婚式は延期された。

    そして8月24日、ジョン王はアングレーム家のイザベラと結婚。

    婚約者を奪われたルジニャン家のユーグは、貴族たちと共に反乱を起こした。フランスにおけるプランタジネット家の勢力を削ぐことを狙うフランス王フィリップ2世は、反乱貴族たちを支援していた。

  • 1202年、アキテーヌの貴族たちの反乱は、フランス王フィリップ2世とイングランド王ジョンとの間の戦いにまで発展した。

    リチャードとジョンの兄であるジェフリーの子であるブルターニュ公アーサーは、イングランドの王位を要求しており、ジョンに対抗して、フランス側についた。

  • 1203年夏、リチャード獅子心王が築いたノルマンディー防衛の拠点ガイヤール城がフィリップ2世によって包囲された。

    下の画像は、ノルマンディの街レザンドリを見下ろすガイヤール城。詳しくはココをクリック

    リチャード獅子心王が築いたガイヤール城


    同年12月5日、ジョン王はガイヤール城に援軍を送ることも出来ず、イングランドに渡った。

  • 1204年3月6日、ガイヤール城がフィリップ2世の手に渡った。

    同年4月1日、ヘンリー2世の未亡人エレアノール死去。83歳になっていた。

    その後、フランスにあるプランタジネット家の領土は次々と失われていった。

  • 1215年、イングランド王ジョンに対して反乱を起こした貴族たちは、王に迫って「マグナ・カルタ」を発布させた。
失地王ジョンの息子ヘンリー3世については、旅行記「ヨークの休日」の中の「ヘンリー3世」のページを見て下さいね。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索





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