東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

イングランド南部の旅(イギリス)

1994年4月


イングランド王ヘンリー2世 - 栄光と孤独
(プランタジネット家の帝国と挫折)

  1. ノルマンディー公ヘンリーの誕生
  2. イングランド王位
  3. 一族の争い
  4. リチャード獅子心王
  5. ジョン失地王

4. リチャード獅子心王
  • 1189年9月3日、アキテーヌ公リチャードの戴冠式がロンドンで行われた。

    新しいイングランド王は、最後まで父ヘンリー2世を見守っていた異母兄ジェフリーをヨークの司教とし、暖かく処遇した。

  • 1189年10月2日、イスラムの救世主サラディンが聖地エルサレムを奪還した。

    対するキリスト教徒側は、イングランドのリチャード獅子心王、神聖ローマ皇帝バルバロッサ、フランス王フィリップの三王による十字軍を組織した。

  • 1191年5月8日、獅子心王リチャードの艦隊がシシリアのメッシナを出航。

    リチャードは、シリアに上陸する前に、キプロス島を占領した。

    同年6月8日、リチャードがシリアに上陸。

  • 1192年9月2日、イングランド王リチャードとイスラム側のサラディンとの間で休戦条約が成立。キリスト教徒はエルサレムへの巡礼が許されることとなった。

    リチャードが聖地で戦い、あるいは外交的駆け引きを行っている間に、プランタジネット家の領土では弟のジョンが勢力を拡大していた。

  • 1192年10月9日、リチャード獅子心王はシリアを出航し、帰国の途についた。

    しかし、リチャード獅子心王の艦隊は、アドリア海で難破してしまう。

    陸路をたどって帰国しようとしたリチャードは、ウィーンの近郊でオーストリア公レオポルトに囚われてしまった。やがて、リチャードは神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世の手に渡された。

    リチャードが囚われの身になっている間に、フランス王フィリップ2世がリチャードの領土を侵食した。リチャードの弟のジョンは、フランスと結託していた。

    国を留守にしているリチャードに代わって守りを固めたのは、その母にしてヘンリー2世の未亡人であるエレアノールだった。

  • 1194年1月6日、リチャード釈放のための身代金を携えたエレアノールがケルンに到着。

    同年2月2日、マインツにおいてリチャード獅子心王が釈放され、母であるエレアノールに引き渡された。

    同年3月23日、イングランド王リチャードがロンドンに帰還した。

    同年5月、フランス王と同盟してノルマンディーで反旗を翻していたジョンが降伏した。

  • 1196年、フランス北部ノルマンディの街レザンドリを見下ろす山に、リチャード獅子心王がガイヤール城を築いた。

    下の画像は、ノルマンディの街レザンドリを見下ろすガイヤール城。詳しくはココをクリック

    リチャード獅子心王が築いたガイヤール城


  • 1199年3月25日、ノルマンディーの小領主の城を攻めていたリチャードが、敵の放った矢により負傷。

    同年4月6日、リチャード獅子心王死去。彼は弟のジョンを後継者に指名した。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索





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