東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

春のイングランド南部の旅(イギリス)

02. 貴婦人の城 リーズ城

リーズ城の駐車場は満車

前のページで書いたように、水仙の花やアーモンドの花に迎えられて、リーズ城の城門をくぐり、奥へと向かった。到着が早すぎたせいで門の前でちょいと待ったんだけど、その間にも観光客はどんどん到着し、開門と同時にリーズ城の駐車場は満車になっていたよ。さすがはイースターの連休だよね。このリーズ城はロンドンにも近いし、人気もあるんだろうね。

イングランド南部にある貴婦人の城 リーズ城の城門や城壁(イギリス)

チケットを買い、入場口を通って奥に向かう。その道が長いんだ。リーズ城の敷地が広いということなんだろうけどね。もちろん、上の画像にあるように、城壁や城門などを見ながら奥へと進んでいくわけだ。

リーズ城 アングロ・サクソンの砦、ノルマンの城

現在のリーズ城のある場所には、元々は9世紀に建てられたアングロ・サクソンの砦があったんだそうな。その主がアングロ・サクソン系のケント王国の王エセルベルト4世の大臣の Led さんだった。そこから現在の Leeds リーズ城の名前が来たらしい。

イングランド南部にある貴婦人の城 リーズ城と堀(イギリス)

そんなアングロ・サクソン時代の砦を西暦1119年に建て替えたのが、ノルマン貴族のロバート・クレヴクールさん。クレヴクール家はノルマンディー公にしてイングランドの征服王ウィリアム1世からこのケント州に領地をもらった一族だったんだそうな。

リーズ城 イングランド王と王妃の宮殿、貴婦人の城

西暦1321年にはリーズ城はイングランド王エドワード1世とその奥方のエレオノーラの宮殿になったんだそうな。今のリーズ城の構造がほぼ出来上がったのは、このイングランド王エドワード1世の頃だったんだそうな。このイングランド王エドワード1世といえばスコットランドに侵攻し、ウェールズも占領してイングランドの領地にしたような、戦争ばかりしていた王様だったんだけど、よくまあそんな時間とお金があったもんだね。

その後もこのリーズ城はイングランド王家の人々、特に王妃たちが城主になることが多かったらしい。例えば、イングランド王エドワード3世の王妃フィリッパ、百年戦争時代のイングランド王ヘンリー5世の王妃カトリーヌ(ヴァロワ家のフランス王シャルル6世の王女)などなど。そんなわけで、このリーズ城は貴婦人の城とも呼ばれるらしいよ。

リーズ城の城内

湖の中の島に建てられているリーズ城の主郭には、橋を渡って行くんだ。その中心となる建物の中では、様々な時代の調度品などを見ることが出来る。例えば12世紀ノルマン時代のワイン・セラーや、イングランド王ヘンリー4世(シェイクスピアで有名なリチャード2世をロンドン塔に幽閉した人物だよ)の妃だったナヴァーラのジョーンがつけていた西暦1422年の家計簿とかね。

イングランド南部にある貴婦人の城 リーズ城の天守(イギリス)

しかし、イースターの連休だからか、城内はひどく混んできたよ。ツアーでやってきたイギリス人の団体サンで、城内はラッシュ・アワーみたいになっている。余談ながら、イギリス人も他のヨーロッパ人もツアーの団体旅行をする。日本人やアジア人だけがツアーで観光をするわけじゃないんだよね。ツアーが気楽で経済的だということなんだろうね。

リーズ城とイングランド王ヘンリー8世

このリーズ城は、悪名高いイングランド王ヘンリー8世が西暦1519年に改装したらしい。それも王妃キャサリン・オブ・アラゴンの為だった。王妃キャサリンは、このリーズ城にも住んだことがあったんだそうな。

その王妃キャサリンの甥にあたるのが、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)だった。彼の母親のカスティーリャ女王フアナも、その妹のキャサリンも、スペインのカトリック両王として名高いカスティーリャ女王イサベル1世アラゴン王フェルナンド2世の娘だった。

カール5世が皇帝に選出されたのが西暦1519年だったんだけど、その年に彼は戴冠の為にアーヘンに向かう途中でイギリスに立ち寄り、ヘンリー8世夫妻と会ったらしい。ひょっとして、改装されたばかりのこのリーズ城で会ったかもしれないね。

ちなみに、イングランド王ヘンリー8世の王妃キャサリン・オブ・アラゴンは、かつてヘンリー8世の兄で皇太子だったアーサーの妃だったそうな。ところが、皇太子アーサーはイングランド王となる前に死去。その結果としてヘンリー8世が王位を継承し、兄嫁だったキャサリン・オブ・アラゴンとも結婚したんだそうな。

ヘンリー8世とキャサリンとの結婚生活は24年間も続いた。が、やがて離婚(正式には婚姻無効)。ローマの教皇は認めていないけどね。その後のイングランド王ヘンリー8世は次々と結婚と離婚を繰り返し、離婚した妃の中には処刑された女性もいる。例えば後のイングランド王エリザベス1世の母であるアン・ブーリンは、離婚の後にテムズ川のほとりのロンドン塔で処刑されたらしいよ。(その2年後に「ユートピア」の著者トマス・モアもロンドン塔で幽閉・処刑された ・・・。)

イングランド王ヘンリー8世と結婚する前のアン・ブーリンは、元の王妃キャサリンの侍女だったらしい。ということは、侍女の頃のアン・ブーリンもこのリーズ城で過ごしていたんだろうね。その頃は自分が後に王女となり、ロンドン塔で処刑されるとは思わなかっただろうけど。

ついでながら、アン・ブーリンは更に以前にはフランス王フランソワ1世の王妃クロードの侍女だったこともあるみたい。その当時にはフランスの首都パリからもさほど遠くないロワール川のほとりのブロワ城(当時のフランス王家と縁が深いお城)などにいたんだろうね。


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