東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

キプロス 1999年12月


キプロスの歴史
西暦 12 世紀から 16 世紀まで

リチャード獅子心王 - テンプル騎士団

西暦 1185 年、ビザンティン皇帝の縁者であるイサーク・コムネヌスが、反乱を起こした。キプロスを統治していた彼は、自ら皇帝を称した。

西暦 1191 年、第 3 回十字軍に参加する途中でキプロスに立ち寄ったイングランド王リチャード獅子心王は、イサークと争いキプロスを征服した。

島を統治する意志のなかった獅子心王(イングランド王リチャード1世)は、テンプル騎士団にキプロスを売却した。しかし、島民の反乱に手を焼いた騎士団は、島を獅子心王に売り戻した。

関連書籍

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ルジニャン王家

フランス北部ノルマンディーの貴族の出身だったギー・ド・ルジニャンは、十字軍によって建国されたエルサレム王国の王位を失ったところだった。リチャード王は、そのギー・ド・ルジニャンにキプロスを売り渡した。

島の統治と防衛の為、ギー王はヨーロッパの貴族達に土地を与え、キプロスに呼び寄せた。また、同様の目的の為に、彼は聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団にも所領を与えた。その甲斐もあり、ルジニャン王家はキプロス防衛に成功する。

東方貿易の拠点を求めるジェノヴァは、ルジニャン王家との争いを機に、1373 年と 1402 年に兵を送り込んだ。しかし、キプロスを征服することは出来なかった。

また、パレスティナから十字軍勢力を駆逐したイスラム勢力もキプロスを脅かした。エジプトを支配していたマムルーク朝は、 1425 年と 1426 年に兵を上陸させている。(コロッシ城が 1454 年に建て替えられたのは、上陸したイスラム部隊との戦いによって損傷を受けたためである。)

騎士団の城コロッシ城 右の画像は、キプロス島に残るコロッシ城。詳しくはココをクリック



ヴェネツィア

西暦 1468 年、キプロス王ジャック 2 世は、ヴェネツィア貴族の娘であるカテリーナ・コルネールと結婚した。

翌 1469 年、キプロス王ジャック 2 世死去。その結果、キプロスにおいてヴェネツィアの影響力が強まった。

西暦 1488 年、聖ヨハネ騎士団がコロッシ城と荘園を売却した。買い手は、ジョルジョ・コルネール。キプロスの女王となったカテリーナの弟である。

西暦 1489 年、キプロスはヴェネツィアの支配下に入った。

関連書籍

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【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


--- 余談 ---

1488 年にコロッシ城を取得した際、ジョルジョ・コルネールは「キプロス管区長 Grand Commander of Cyprus」の称号をも併せて買い取っている。その称号は、代々のコルネール家の当主によって相続された。

西暦 1799 年、コルネール家は断絶した。コルネール家の娘と結婚していたモチェニーゴ伯爵が、キプロス管区長の称号の相続権を主張している。




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