|
キプロスの歴史
リチャード獅子心王 - テンプル騎士団
ルジニャン王家 フランス北部ノルマンディーの貴族の出身だったギー・ド・ルジニャンは、十字軍によって建国されたエルサレム王国の王位を失ったところだった。リチャード王は、そのギー・ド・ルジニャンにキプロスを売り渡した。 島の統治と防衛の為、ギー王はヨーロッパの貴族達に土地を与え、キプロスに呼び寄せた。また、同様の目的の為に、彼は聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団にも所領を与えた。その甲斐もあり、ルジニャン王家はキプロス防衛に成功する。 東方貿易の拠点を求めるジェノヴァは、ルジニャン王家との争いを機に、1373 年と 1402 年に兵を送り込んだ。しかし、キプロスを征服することは出来なかった。 また、パレスティナから十字軍勢力を駆逐したイスラム勢力もキプロスを脅かした。エジプトを支配していたマムルーク朝は、 1425 年と 1426 年に兵を上陸させている。(コロッシ城が 1454 年に建て替えられたのは、上陸したイスラム部隊との戦いによって損傷を受けたためである。)
ヴェネツィア 西暦 1468 年、キプロス王ジャック 2 世は、ヴェネツィア貴族の娘であるカテリーナ・コルネールと結婚した。 翌 1469 年、キプロス王ジャック 2 世死去。その結果、キプロスにおいてヴェネツィアの影響力が強まった。 西暦 1488 年、聖ヨハネ騎士団がコロッシ城と荘園を売却した。買い手は、ジョルジョ・コルネール。キプロスの女王となったカテリーナの弟である。 西暦 1489 年、キプロスはヴェネツィアの支配下に入った。
--- 余談 --- 1488 年にコロッシ城を取得した際、ジョルジョ・コルネールは「キプロス管区長 Grand Commander of Cyprus」の称号をも併せて買い取っている。その称号は、代々のコルネール家の当主によって相続された。 西暦 1799 年、コルネール家は断絶した。コルネール家の娘と結婚していたモチェニーゴ伯爵が、キプロス管区長の称号の相続権を主張している。
|
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
|