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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)
23. ブルー・モスク (トルコ、イスタンブール)
8時半にバスでホテルを出発。渋滞もなく、スルタン・アフメット広場に到着したのが9時頃。この広場は、かつてビザンティン帝国の時代には、ヒッポドローム(競馬場)だった。
ヒッポドロームの一角にはエジプトのオベリスクが立っている。紀元前16世紀にエジプトのトトメス3世が作らせたオベリスクを、西暦4世紀にコンスタンティノープルに運んできたらしいよ。
ブルー・モスク(スルタン・アフメット・ジャーミー)
ヒッポドロームことスルタン・アフメット広場に面して立っているのが、有名なブルー・モスク。でも、正式な名前は、スルタン・アフメット・ジャーミーと言うんだって。
というのも、オスマン・トルコの第14代スルタンであるアフメット1世の命によって建てられたから。着工は1609年、完成したのは1616年。
このブルー・モスクの外観上の特徴は、6本のミナレット(尖塔)が立っていること。右上の画像には4本しか写っていないけどね。
イスタンブールでも、6本のミナレットを持っているのは、このブルー・モスクだけ。ちなみに、ブルー・モスクが完成した当時のメッカのカーバ神殿でもミナレットは6本しかなかった。
そこで、畏れ多いと感じたスルタンのアフメット1世は、カーバ神殿に7本目のミナレットを贈ったんだそうな。
右の画像は、1995年12月に訪れたときのブルー・モスク。当時のブルー・モスクでは入口と出口が同じだったから、その出入り口で大混雑が起こっていたんだ。
でも、今では入口と出口は別々になっているから、人の流れもスムースになっていた。そうせざるを得ないほど、多くの人が押し寄せてくるんだろうね。
ブルー・モスク内部のイズニクの青いタイル
ブルー・モスクという通称の由来となっているのは、内部を飾っている青いタイル。
ブルー・モスクでは、当時のオスマン・トルコを代表するイズニク窯のタイルを21,043枚も使っているらしい。
そのイズニク窯なんだけど、17世紀には衰えてしまったから、もうイズニクのタイルを作ることは出来ないんだって。
この見事な青いタイルを見て思い出すのが、ポルトガルの古い教会を飾っていたアスレージョというタイル。おそらくは、同じ起源を持つ技術が西にポルトガル、東にトルコに伝播して、各々で青いタイルを作ったんだろね。宗教や戦争の持つ技術伝播力は強いと感じるね。
ブル・モスクの象の足
ブルー・モスクのドームの高さは43メートルになる。そのドームを支えているのが、直径5メートルに及ぶ巨大な柱なんだ。その柱の通称が「象の足」。下の画像を良く見れば、右の方に暗い影が見えるでしょ。それが「象の足」だよ。
オスマン・トルコの栄光と没落
初期のオスマン・トルコの軍事力を支えたのは、遊牧騎馬民族伝統の騎乗兵軍団だった。でも、中期以降は歩兵を中心とするイェニチェリがオスマン・トルコの軍事力の中心となったわけだ。
衰退する騎乗兵軍団と影響力を強めるイェニチェリは、1648年にブルー・モスク周辺で戦ったことがある。ブルー・モスクが1616年に完成して30年余りしか立っていない時点でね。
オスマン・トルコ帝国の力を象徴する建物の横で、その衰退を予告する事件が起こったわけだね。
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