セゴビアのアルカサルはスペイン王家ゆかりの城館「貴婦人」とも称されるセゴビアの大聖堂近くのカフェでひと休みして、再び坂道を登る。やがて到着したのが、下の画像にあるセゴビアのアルカサルだった。
アルカサルとは、日本語では「城館」とでも訳せば良いのだろうか。スペインの古都トレドにはフランコ総統が独裁政権を打ち立てた内戦にゆかりのアルカサルがあったし、首都マドリッドの王宮はかつてのアルカサルの跡地に建てられたもの。そしてこのセゴビアのアルカサルもスペイン王家ゆかりの城館なんだそうな。
歴史あるセゴビアのアルカサル西ゴート王国がイスラム教徒によって征服された後、このセゴビアの街もイスラム教徒によって支配されていた。その頃、今のアルカサルのある場所には、イスラム教徒の砦があったらしい。やがてレコンキスタ(国土回復運動)が進み、西暦1085年にマドリッドや古都トレドを奪還したカスティーリャ王アルフォンソ6世が、西暦1088年にはセゴビアの街を占領した。そして西暦1120年にはセゴビアのこの場所にアルカサルがあったらしい。(下の画像は今のアルカサルの正面から見上げた塔の様子。)
但し、当時のセゴビアのアルカサルは木造の砦だったらしい。ちなみに、11世紀頃のヨーロッパには木造の城砦は少なくなかった。例えば、ノルマン・コンクエストで名高いイングランド征服王ウィリアム1世が築いたロンドンのテムズ川のほとりのロンドン塔も当初は木造だったそうな。
このセゴビアのアルカサルを改修したことで特に名高いのは、カスティーリャ王エンリケ2世だった。彼はカスティーリャ王ペドロ1世の異母兄だったけど、王位継承戦争に勝ち、王位を奪い取ったらしい。ちなみに、ペドロ1世を支援したのが百年戦争時代のイギリスの黒太子エドワード。でも、彼はスペインで病を得て帰国しちゃった。対してエンリケ2世を支援したのが、フランスの英雄ベルトラン・デュ・ゲクランだったそうな。
カスティーリャ女王イサベル1世とセゴビアのアルカサルスペインの黄金時代といえば、ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)とその息子のフェリペ2世の頃だよね。そして彼らがカタルーニャの王位を受け継いだのは、カトリック両王の一人カスティーリャ女王イサベル1世の孫と曾孫ということによるわけだ。そのイサベル1世のカスティーリャ女王即位に関しては、このセゴビアとアルカサルが大きな役割を果たしたらしい。(下の画像はセゴビアのアルカサルの内部の様子。)
西暦1474年、イサベル1世の兄のカスティーリャ王エンリケ4世が亡くなった。ところが、その相続人である王女フアナについては、父親がさだかではなく、その王位継承には疑問があったらしい。そこでエンリケ4世の妹であるイサベル1世による王位継承に支持が集まったんだそうな。ところが、王女フアナの婚約者であるポルトガル王アフォンソ5世がカスティーリャ王位継承に介入してきた。
セゴビアのアルカサルの中を歩くそんなセゴビアのアルカサルの中を歩いた。スペイン王家ゆかりの長い歴史のある城館だけに、由緒ある様々なものを見ることができそうだよね。でも、このアルカサルは西暦1862年に火災でひどく損傷を受けたらしい。
というわけで、アルカサル内部のあれこれは、19世紀末ごろから修復されてきたものが多いんだそうな。(上の画像はアルカサルの中で見たステンド・グラス。)
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