東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
ヴァレンシアの火祭りとバルセロナ
(スペイン 1999年3月)
ヴァレンシア略年表
3. キリスト教徒のヴァレンシア
- 1237年、攻勢に出た、アラゴン・カタルーニャ連合王国の軍が、エル・プイグの戦いにおいて、ヴァレンシアの支配者ザイヤーンの軍を打ち破った。
- 1238年、アラゴン・カタルーニャ連合王国の王ハイメ1世がヴァレンシアを征服した。
現在のカテドラル(右の画像)の場所にあったモスクは、キリスト教の教会に変えられた。
但し、アラゴン・カタルーニャ連合王国は、支配下に収めたヴァレンシアでイスラム教徒に寛容な政策を採った。ヴァレンシア近郊には、16世紀にいたるまで多くのイスラム教徒が住み、アラビア語を話し続けていた。
他方、ヴァレンシア近郊の山間部に拠点を維持したイスラム勢力は、ゲリラ戦を続けてアラゴン・カタルーニャの支配を脅かしていた。
- 1278年、ヴァレンシア近郊に残っていたイスラム勢力が壊滅し、アラゴン・カタルーニャ連合王国の支配が貫徹された。
- 1313年、アラゴン・カタルーニャ連合王国支配下のヴァレンシアにおいて、ムアッジンがイスラム教徒に礼拝を呼びかけることが禁止された。
- 1400年頃、都市や農地の荒廃を懸念する王は、イスラム教徒の国外への移住を禁止した。
15世紀から16世紀にかけて、ヴァレンシア商人は地中海を舞台に勢力を伸ばした。
彼らが取引をしていたのが、現在のヴァレンシアに残るラ・ロンハである。
そのラ・ロンハの内部の様子が右の画像。
- 1520年代、ヴァレンシア周辺の人々が王や貴族に対する大規模な暴動を起こした。
しかし、イスラム教徒たちは、王や貴族たちを支持していた。
- 1609年、ヴァレンシアに残っていたムーア人が追放された。
- 1707年、スペイン継承戦争を戦っていたブルボン家のフェリペ5世が、アルマンサの戦いに勝利を得た。
その結果、オーストリア系ハプスブルグ家の側に立って戦っていたヴァレンシアは、13世紀に起源を持つ特権を剥奪された。
- 19世紀後半、ヴァレンシアにおいて独立の動きが強まった。
- 1936-1939年、スペイン内戦において、独裁者フランコが勝利を得た。(そのスペイン内戦における悲劇を描いたのが、ピカソの大作「ゲルニカ」。)
- 1957年、ヴァレンシアが大洪水に襲われた。
- 1982年、ヴァレンシアが自治権を回復した。
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