東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヴァレンシアの火祭りとバルセロナ

(スペイン 1999年3月)


エル・シド(エル・シッド) 略年表
4. ヴァレンシアの支配者

  • 1090年、自らの軍を率いた「エル・シド(エル・シッド)」ことロドリーゴ・ディアスは、ムンズィル・アル・ハーイブの支配するデニア地方に侵入。ハーイブがロドリーゴ・ディアスに貢納することを条件に、講和が成立した。

    ロドリーゴ・ディアスは、軍をヴァレンシアに進め、その支配者アル・カーディルから莫大な貢納をせしめた。

    ロドリーゴ・ディアス(エル・シド)は、南下してきたバルセロナ伯の軍と戦い、落馬の為に負傷しながらも、バルセロナ伯を打ち破った。

    やがて、サラゴサの支配者ムスタイーンの仲介により、ロドリーゴ・ディアスとバルセロナ伯との間に講和が成立した。ロドリーゴ・ディアスは、ヴァレンシア付近の海岸地帯に支配を確立した。

  • 1091年、カスティリア王妃コンスタンスが、「エル・シド」 ロドリーゴ・ディアスに手紙を送った。ムラービト朝の軍と戦うアルフォンソ6世に協力を求める手紙だった。王妃や友人たちの要請に従い、ロドリーゴ・ディアスは国王軍に合流した。

    しかし、グラナダ付近で布陣中にアルフォンソ6世とロドリーゴ・ディアスとの講和は破れ、ロドリーゴ・ディアスは軍を引いて本拠地に戻った。

  • 1092年、ロドリーゴ・ディアスはサラゴサを訪れ、フード朝の支配者ムスタイーンとの同盟を延長した。更に彼はアラゴン王サンチョ・ラミレスとも同盟を結び、またアラゴン王国とサラゴサとの同盟をも仲介した。

    カスティリア王アルフォンソ6世は、ジェノヴァ 及び ピサと同盟し、海陸からヴァレンシアを攻撃した。

    アルフォンソ6世のヴァレンシア攻撃に対抗するために、ロドリーゴ・ディアスはカスティリア王国のラ・リオハ地方に侵入した。彼が略奪したのは、カスティリアのガルシア・オルドーニェス伯爵の領地だった。伯爵は、カスティリアの宮廷におけるロドリーゴ・ディアスの仇敵だった。

    「エル・シド」 ロドリーゴ・ディアスによる侵入を知ったアルフォンソ6世は、ヴァレンシア攻囲を解き、カスティリア軍を撤退させた。

    同年10月、ロドリーゴ・ディアスの保護下にあったヴァレンシアの君主アル・カーディルが、人々によって殺害された。

    同年11月、ロドリーゴ・ディアス(エル・シド)はヴァレンシアの北側にある丘の上に布陣し、ヴァレンシアに対する攻撃を開始。(下の画像は、ヴァレンシアの北に広がる丘陵地帯。)
ヴァレンシアの北に広がる丘陵地帯の様子(スペイン)
  • 1093年春、「エル・シド(エル・シッド)」ことロドリーゴ・ディアスとヴァレンシアとの間に和約が成立した。

    しかし、同年7月、ロドリーゴ・ディアスがヴァレンシアに対する攻囲を再開した。

    ムラービト朝の部隊がヴァレンシア救援に赴こうとしたが、ロドリーゴ・ディアスの軍に阻まれ、ヴァレンシアに接近することが出来なかった。

  • 1094年、食糧不足に陥ったヴァレンシアが開城し、「エル・シド」(ロドリーゴ・ディアス)がヴァレンシアの支配者となった。彼はユダヤ人のワズィール(宰相)を起用し、内政を担当させた。

    やがてロドリーゴ・ディアスは、現在のカテドラル(大聖堂)の場所にあったモスクを、キリスト教のサンタ・マリア教会に変えた。

    ロドリーゴ・ディアスはカスティリア王アルフォンソ6世と和解し、また二人の娘をナヴァーラの王子とバルセロナ伯に嫁がせた。

    同年10月、ムラービト朝の大軍がヴァレンシアを攻撃。しかし、城壁を出て奇襲をかけたロドリーゴ・ディアスによって打ち破られ、ムラービト朝軍はヴァレンシア攻略をあきらめた。

  • 1097年、アラゴン王ペドロ1世とエル・シド(ロドリーゴ・ディアス)の軍が、ムラービト朝軍を打ち破った。

    その年の8月、カスティリア王アルフォンソ6世は、トレドの南東にあるコンスエグラの戦いで、ムラービト朝の軍に敗れた。その戦いでは、ロドリーゴ・ディアスのただ一人の息子ディエゴが戦死している。

    同年秋、ロドリーゴ・ディアスはアルメナーラの街を攻略した。ロドリーゴ・ディアスは街にキリスト教の教会を再建することを命じた。

  • 1098年、「エル・シド(エル・シッド)」 ロドリーゴ・ディアスはヴァレンシアの北にあるムルビエドロの要塞を攻略した。この街でも、ロドリーゴ・ディアスは教会の再建を命じている。

    ヴァレンシア(スペイン)のカテドラル(大聖堂) その年、ロドリーゴ・ディアスはヴァレンシアの司教座聖堂(現在のカテドラルの地にあった)の参事会と司教に寄進を行った。(右の画像は、ヴァレンシアのカテドラル。)

  • 1099年7月10日、「エル・シド」とも呼ばれたロドリーゴ・ディアス・デ・ビバルが死去。

  • 1101年、ロドリーゴ・ディアスの未亡人ヒメーナが守るヴァレンシアを、ムラービト朝の遠征軍が包囲。

  • 1102年、ムラービト朝の軍に攻囲されているヴァレンシアの救援の為、カスティリア王アルフォンソ6世が駆けつけた。しかし、ヴァレンシア防衛が難しいことを見てとった王の助言により、ロドリーゴ・ディアス未亡人ヒメーナはヴァレンシアから退去。

    未亡人ヒメーナは、夫の故郷カスティリアの都ブルゴス近くの修道院にロドリーゴ・ディアスの遺骸を埋葬。

  • 1116年、ロドリーゴ・ディアス未亡人ドーニャ・ヒメーナ死去。彼女の遺骸はエル・シドの墓の横に葬られた。

  • 1134年、ナヴァラ王国の王位についたのは、エル・シド(ロドリーゴ・ディアス)の娘クリスティナとナヴァラの王族ラミーロの息子ガルシア・ラミレス5世だった。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索





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