東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
ヴァレンシアの火祭りとバルセロナ
(スペイン 1999年3月)
エル・シド(エル・シッド) 略年表
2. カスティリアからの追放
- 1072年10月、反乱を鎮圧するためにレオン地方に遠征していたカスティリア王サンチョ2世が暗殺された。トレドに追放されていた元レオン王アルフォンソ(サンチョ2世の弟)によるものと疑われているが、定かではない。
王位を継承したのは、故サンチョ2世の弟で、故王暗殺の首謀者の疑いのあるアルフォンソ6世だった。
ロドリーゴ・ディアス(エル・シド)もアルフォンソ6世に仕えることとなった。しかし、国王親衛隊の指揮官の職はアルフォンソ6世のレオン王時代からの旧臣ゴンサーロ・ディアスに与えられ、ロドリーゴ・ディアスは軍事に関する王国最高の地位を失うこととなった。
- 1075年、カスティリア王アルフォンソ6世の仲介により、ロドリーゴ・ディアスはオビエド伯の娘ヒメーナと結婚した。ヒメーナはカスティリア王家の血を引いているとの説もある。
- 1076年、ナヴァラ王サンチョ・ガルセス4世が暗殺され、その機に乗じたカスティリア王アルフォンソ6世がナヴァラに侵入した。
ロドリーゴ・ディアスもその遠征に参加していた。
- 1079年、カスティリア王アルフォンソ6世は、貢納を受け取るための使者として、ロドリーゴ・ディアスをセビリアに派遣した。
アンダルシアにおいてロドリーゴ・ディアスはタイファ国同士の争いに巻き込まれ、計らずもカスティリア王の寵臣と戦いを交える結果となり、カスティリア宮廷内に敵を作ってしまった。
- 1080年、カスティリア王国におけるキリスト教の典礼が、モサラベ様式からローマ様式に変更された。その決定をなした会議には、カスティリア王アルフォンソ6世とその重臣達が参加していたが、ロドリーゴ・ディアスの名も会議参加者の中に含まれていた。
同年夏、カスティリア王アルフォンソ6世がトレドに入り、イスラム教徒支配者同士の争いに介入した。
- 1081年、イスラム教徒による略奪的な侵入に報復するため、自らの兵を率いたロドリーゴ・ディアス(エル・シド)が独断でトレドを攻撃した。
しかし、このロドリーゴ・ディアスの独断的な行動は、トレドとカスティリアとの関係の悪化を招き、トレドを保護下に置こうとするカスティリア王アルフォンソ6世の政策の障害となってしまった。
トレドとの関係の修復を求めた国王は、カスティリア王国からのロドリーゴ・ディアスの追放を命じた。アルフォンソ6世の寵臣との対立も、追放の背景の一つだった。
追放された「エル・シド」ことロドリーゴ・ディアスは、バルセロナに向かったが、そこでは何の地位を得ることもできなかった。
右の画像は、バルセロナ(スペイン)のカテドラル(大聖堂)の様子。
やがてサラゴサへ向かったロドリーゴ・ディアス(エル・シド)は、旧知のイスラム教徒の君主ムクタディルに、傭兵の指揮官として仕えることとなった。
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