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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
ヴァレンシアの火祭りとバルセロナ
(スペイン 1999年3月)
中世スペインの英雄 「エル・シド」
(あるいは、エル・シッド)
- 本名 ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバル。
- 「エル・シド(あるいは、エル・シッド)」の意味は、「主君」「指揮官」「司令官」など。彼は極めて有能な指揮官だったらしい。
- カスティリアの小貴族の子として生まれた。成長してカスティリア王国の重臣となりながら、追放処分を受け、やがてヴァレンシアに自らの王国を作り上げた人物。
- カスティリア北部の街ブルゴス近くのカルデーニャ修道院に、エル・シドとその一族の墓がある。
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エル・シド(エル・シッド) 略年表
1. カスティリア王国の重臣
- 1043年(あるいは1046年、1047年)、カスティリアの街ブルゴス近くのビバル村で、小貴族の子ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバルが誕生。後の「エル・シド」である。
ロドリーゴの父ディエゴ・ライネスは、カスティリア王に仕える軍人だった。母方の祖父ロドリーゴ・アルバレスは、カスティリア辺境の城を任された有力な貴族だった。
少年時代のロドリーゴ・ディアスは、読み書き・馬術・狩猟・鷹狩・弓術などの訓練を受けた。
- 1050年代後半、ロドリーゴ・ディアスは、カスティリア王フェルナンド1世の長男サンチョ(後のカスティリア王サンチョ2世)に小姓として仕えた。
サンチョ王子の城館で、ロドリーゴ・ディアスは軍事訓練を受けた。
右の画像は、中世スペインの城館の内部の様子。(セゴビアのアル・カサル)
- 1062年頃、サンチョ王子はロドリーゴ・ディアスの為に騎士の叙任式を執り行った。
- 1063年、カスティリアのサンチョ王子がピレネー山脈方面へ遠征し、アラゴン王ラミーロ1世を敗死させた。
その遠征にはロドリーゴ・ディアスが従軍していた。それがエル・シドにとっての初陣だった。
- 1065年、ヴァレンシアに遠征したカスティリア王フェルナンド1世が病死。
ロドリーゴ・ディアスが仕えていた王子が、サンチョ2世としてカスティリア王位を継承した。新国王サンチョ2世に子供の頃から仕えていたロドリーゴ・ディアスは、王の側近として重用され、国王の親衛隊の指揮を任されることとなった。
他方、サンチョ2世の弟アルフォンソ(6世)はレオン王国を、ガルシアはガリシア王国を継承していた。
- 1067年、カスティリア王サンチョ2世が、ナヴァラ王サンチョ4世、アラゴン王サンチョ・ラミレスと戦いを交えた。(この戦いは「三人のサンチョの戦」と呼ばれている。)
- 1068年、リャンターダの戦いにおいて、カスティリア王サンチョ2世が弟のレオン王アルフォンソを打ち破った。
- 1071年、カスティリア王サンチョ2世は、弟のレオン王アルフォンソと同盟し、もう一人の弟ガリシア王ガルシアを打ち破り、ガリシア王国を分割した。
- 1072年1月、ロドリーゴ・ディアスの仕えるカスティリア王サンチョ2世が、レオン王アルフォンソを打ち破り、レオン王位を奪い取った。
サンチョ2世は父親のフェルナンド1世の領土を再統一し、敗れたアルフォンソはトレドのイスラム教徒の許に追放され、もう一人の弟ガルシアはセビリアに追放された。
右の画像は、スペインの古都トレドの現在の様子。
他方、カスティリア王サンチョ2世の軍で活躍したロドリーゴ・ディアス(後のエル・シド)は、王国の中でも最有力の貴族に成長していた。
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