東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
春のポルトガル
(1998年5月)
ポルトガル略年表 - 3. ポルトガル王国の成立
- 1086年、北アフリカから侵入してきたムラービト(アルモラヴィダ)軍が、サグラーハスの戦いにおいてカスティリア王アルフォンソ 6世の軍を撃ち破った。
ムラービト軍に対抗するイベリア半島のキリスト教徒軍を支援するために、クリュニー修道院の影響下にあったブルゴーニュ(フランス)の騎士達がカスティリア王アルフォンソ 6世の軍に参加した。
- 1096年、カスティリア王女テレサと結婚したブルゴーニュの騎士エンリケ(アンリ)が、ポルトカレ伯爵エンリケ・デ・ボルゴーニャとなった。
- 1121年、ポルトカレ伯エンリケの未亡人テレサは、トラヴァス家のフェルナン・ロペスと再婚。トラヴァス家はポルトカレ伯領を併合した上で、ガリシア王国を再興することを狙っていた。
- 1126年、レオン・カスティリア国王アルフォンソ 7世は、サンティアゴ大司教にガリシアの統治権を与えた。
しかし、トラヴァス家とポルトカレ女伯テレサは、サンティアゴ大司教への服属を拒否。両者の対立は、翌年にはポルトカレ各地の焼き討ちにまで至る。
- 1128年、ポルトカレ女伯テレサとトラヴァス家に反発していたポルトカレの貴族たちは、エンリケ・デ・ボルゴーニャの息子であるドン・アフォンソ・エンリケスを指導者として蜂起し、ポルトカレ女伯テレサの軍を撃ち破った。
その結果、ドン・アフォンソ・エンリケスがポルトカレにおいて権力を確立し、またポルトカレ伯領の自治的傾向が強まった。
- 1131年、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスはコインブラに軍を進め、レコンキスタ(国土回復運動)の戦いに参加した。
- 1135年、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスが、カスティリア王アルフォンソ 7世と戦いを交えた。
- 1137年、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスとカスティリア王アルフォンソ 7世との間で、トゥイ条約が結ばれた。
この条約の中で、ポルトカレ伯はカスティリア国王への封建的主従関係を認めていた。
- 1139年、ポルトカレ伯アフォンソ・エンリケスは、オーリッケの戦いでカスティリア王アルフォンソ 7世の軍を撃ち破った。
- 1143年、アフォンソ・エンリケスとカスティリア王アルフォンソ 7世との間でサモラの条約が結ばれ、ポルトガルが王国となることが認められた。
これ以後、アフォンソ・エンリケスはポルトガル王アフォンソ 1世と称した。
|