春のポルトガル(1998年5月)
1998年5月3日(日曜日) 13. 中世の城壁の街 オビドス(ポルトガル)6時半に目がさめた。何故にこんなに良く眠れるのかな。旅の疲れで眠れるのか、ワインのおかげで眠れるのか、それとも仕事から解放されたおかげか ... 。よく食べ、よく眠り、これでエクササイズでもすれば言うこと無しだけどね。ま、それは来週になって考えることにしよう。少し早めに部屋を出て、ホテルのフロントに絵葉書の投函を頼んでおく。9時にはバスに乗って出発。市内を抜けるときに闘牛場を見かけた。 ポルトガルの闘牛闘牛と言えばスペインが浮かぶんだけど、6月から 10月にかけてはポルトガルでも闘牛が行われるらしい。(私の郷里に近い四国は愛媛の宇和島にも闘牛があるけどね。)但し、ポルトガルの闘牛は観客の前では牛を殺さないんだそうな。スペインの闘牛の場合は、目の前で牛が殺されないと観衆が納得しないんだけどね。 でも、観客の前で殺さないと言うのは、目立たない場所で殺すってことなんだろうか。ちなみに、プロヴァンス(フランス)の闘牛では、牛が殺されることは無いらしいんだけど。 |
城壁の街 オビドス10時半にオビドスの街に到着。リスボンの北 63kmにある街。人口は 1000人にも満たない小さな街。ところが、この小さな田舎町に世界各地から観光客がやってくる。
というのも、この小さな街を取り囲む城壁は、中世のままに残されているから。それだけじゃなくて、城壁の中の街も中世の雰囲気をそのまま残しているから。 そんな中世の街を見るために観光客が集まって来る。 オビドスの街を囲む城壁
そんなオビドスの街に城壁が築かれたのは、キリスト教徒とイスラム教徒とが戦いを続けていたレコンキスタ(国土回復運動)の時代のこと。最初の城壁が築かれたのは、このあたりをキリスト教徒が占領した12世紀のこと。アラブ人やベルベル人の襲撃から街を守るためだね。その後、1375年には新たな城壁が築かれている。 但し、基本的にポルトガルにおいてはレコンキスタ(国土回復運動)は西暦1249年に完了している。その後、カスティリア(スペイン)による干渉を跳ね返したポルトガルは、エンリケ航海王子を先駆者として大航海時代に乗り出して行ったわけだ。 ちなみに、イスラム教徒の侵入やレコンキスタ(国土回復運動)については、下のページが参考になるよ。 余談ながら、城壁に囲まれた中世の缶詰のような丘の上の街としては、リヨン(フランス)の近くにあるペルージュの街がオビドスに似ているね。但し、ペルージュの街は侵入してきたゲルマン人の襲撃から街を守るために城壁が築かれたんだけどね。 オビドスの城壁の上を歩く
そんなオビドスの城壁の上を歩くことも出来る。周囲に広がる田園風景の眺めも最高だよ。但し、城壁の上には手すりも何にも無い。風景に見とれていちゃ危ないかも。
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