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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

モナコ 2000年7月


モナコ公国 略年表

BC 2c 末 イタリアローマから進出してきた古代ローマ帝国の支配下に入る。
AD 6-10c ゲルマン諸族・アラブの侵攻。
AD 10c末 プロヴァンス伯がアラブ勢力を駆逐。
AD 1191 神聖ローマ皇帝ハインリッヒ6世が、モナコをジェノヴァの宗主権下に置いた。
AD 1215 ジェノヴァ人がモナコの「」に砦を築いた。
AD 1296 ゲルフ(法王派)のグリマルディ家が、ジェノヴァを追放された。同家はプロヴァンスに亡命。
AD 1297 グリマルディ家がモナコを占領。その立役者はフランチェスコ派修道士だったフランソワ・グリマルディ。
AD 1301 グリマルディ家がモナコを失った。
AD 1331 グリマルディ家のシャルル 1 世がモナコを回復。彼は実質的にモナコ大公家の創始者と評価されている。
AD 1489 フランス 及び サヴォイがモナコの主権を承認。
AD 1507 ジェノヴァが 100 日以上に渡りモナコを攻囲。結局モナコは陥落せず、ジェノヴァ軍は撤退した。
AD 1512 フランスによりモナコの主権が承認された。
AD 1525 スペインの保護下に入った。
AD 1641 ペロンヌ条約により、フランスの保護下に入った。その際、フランスのヴァレンティノワ公爵領を与えられている。
AD 1715 グリマルディ家の男子相続人が途絶え、
フランスのゴワインヨン・マティニョン家が
婚姻によりグリマルディ家を継承した。
AD 1793 革命フランスにより併合された。
AD 1814 フランス皇帝ナポレオンの没落後、パリ条約により、グリマルディ家がモナコに復帰した。
AD 1815 ウイーン条約により、サルディニア王国の保護下に入った。
AD 1861 フランスがモナコの主権を承認
同時にモナコはフランスの保護下に入った。
AD 1918 フランス・モナコ条約。

  • グリマルティ家が途絶えれば、モナコはフランス内の自治国となる。
  • 大公位の継承にはフランス政府の承認を要する。
  • フランスはモナコの防衛を保証する。
しかし、
AD 1940 イタリアによる占領。
AD 1943 ドイツによる占領。
AD 1993 国連に加盟。


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