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カンパーニャ と ローマ・ヴァティカン (イタリア)
第四部 ローマ・ヴァティカン編
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D10. コンスタンティヌスの間 (ヴァティカン美術館・博物館 -9.)
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古代ローマ皇帝コンスタンティヌスの物語
オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲で活躍したポーランドのソビエスキ王の間に続いては、古代ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスの間(右の画像)を見る。
ここでは、ローマのフォロ・ロマーノにコンスタンティヌスの凱旋門を残した皇帝にまつわる物語を描いた絵を見ることが出来るんんだ。
天空に現れた十字架
西暦312年、帝位争いに乱れた古代ローマ帝国において、抑圧を受けながらもキリスト教は根強い信仰を集めていた。
そんな古代ローマ帝国の覇権を狙うコンスタンティヌスは、宿敵マクセンティウスとの戦いを目前にしていた。そのコンスタンティヌスの軍勢の目の前で、天空に十字架が浮かび上がったんだ。(右の画像)
ミルヴィオ橋の戦い
そして西暦312年10月28日、ローマ近くでコンスタンティヌス軍とマクセンティウス軍とが激突し、コンスタンティヌスが勝利を得た。(「ミルヴィオ橋の戦い」)
ミラノ勅令
ミルヴィオ橋の戦いの前に天空に十字架が現れたことから、勝利はキリストの加護のおかげだと信じたコンスタンティヌスは、西暦313年にミラノ勅令を発布し、古代ローマ帝国でのキリスト教の信仰を公認したわけだ。
ローマ献上
更に、皇帝となったコンスタンティヌスは、ローマ教皇シルヴェステル1世に教皇領としてローマを献上した(右の画像)...という史実は無いらしいけどね。
興味深いのは、右の画像に描かれているシルヴェステル1世は、メディチ家出身のローマ教皇クレメンス7世をモデルにしているという点だね。
その後、リキニウスを撃ち破り、古代ローマ帝国の単独の支配者となったコンスタンティヌス帝は、西暦330年に首都をコンスタンティノープルに移しちゃったんだけどね。
ラファエロの弟子たち
余談ながら、このコンスタンティヌスの間にある絵を制作したのは、ジュリオ・ロマーノとフランチェスコ・ペンニなる人物たちなんだ。
あまり聞いたことの無い名前なんだけど、彼らはラファエロの助手たちだったんだ。そして、いよいよ次のページにはラファエロ作品が登場するよ。
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