イタリア北部周遊

ミラノ、フィレンツェ、ピサ、チンクエ・テッレ、ジェノヴァ
(1996年09月)

23. バルジェッロ博物館 - 1 (フィレンツェ)

12 時半にバルジェッロ博物館(下の画像)に入る。 2 時には閉館となってしまうんだそうな。急ぎ足で見て回らなきゃいけないね。

フィレンツェにあるバルジェッロ美術館(イタリア)

今は博物館となっているんだけど、この建物はかつては宮殿として使われていたんだそうな。その建設が始まったのは、1255年のこと。

チェッリーニの「コシモ・デ・メディチ胸像」

バルジェッロ博物館で最初に私の興味を引いたのは、彫刻家チェッリーニの手による「コシモ・デ・メディチの胸像」(下の画像)だった。

フィレンツェのバルジェッロ美術館に見るチェッリーニ作「コシモ・デ・メディチ胸像」(イタリア) フィレンツェのバルジェッロ美術館に見るチェッリーニ作「コシモ・デ・メディチ胸像」(イタリア) フィレンツェのバルジェッロ美術館に見るチェッリーニ作「コシモ・デ・メディチ胸像」(イタリア) フィレンツェのバルジェッロ美術館に見るチェッリーニ作「コシモ・デ・メディチ胸像」(イタリア)

メディチ家の当主となったコシモ1世

フィレンツェの国父とも呼ばれたコジモ・デ・メディチ豪華王とも称されたロレンツォ・デ・メディチ ・・・ そんなイタリアの歴史を代表するほどの人々血統を引き継ぐメディチ家兄脈の嫡流男系が断絶したのは西暦1519年のことだった。そしてメディチ家宗家の地位は弟脈に引き継がれていく。

そのメディチ家弟脈の人々の中に黒備えのジョヴァンニと呼ばれる著名な武将がいた。その武将はやがて戦死してしまったんだけど、一人息子のコシモを残したんだ。その少年が成長し、西暦1537年にはメディチ家宗家を継承し、フィレンツェ大公コシモ1世(後にトスカナ大公)となったわけだ。

シニョーリア広場に騎馬像の立つコシモ1世。彼の子孫はフィレンツェ及びトスカナ地方を支配し続けたんだ。(メディチ家最後のトスカナ大公ジャン・ガストーネが亡くなったのは西暦1737年のことだった。)







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