イタリア北部周遊
ミラノ、フィレンツェ、ピサ、チンクエ・テッレ、ジェノヴァ
(1996年09月)
ミラノ 略年表
BC 7世紀、ガリアにいたケルト系の部族がポー川の流域に定着した。
BC 222-218年、およそ 5 年間に及ぶ戦いの末に、古代ローマがミラノを征服。
AD 305-402年、ミラノが西ローマ帝国の首都となった。
AD 313年、
古代ローマ帝国のコンスタンティヌス帝
がミラノで勅令を発し、キリスト教の信仰を容認した。
AD 384年、
後にキリスト教の代表的な思想家となる聖アウグスティヌス
がミラノで修辞学を教えた。
AD 4世紀、蛮族の侵入により荒廃。
AD 12世紀、自治都市となったミラノが発展し始めた。
AD 1162年、神聖ローマ皇帝フレデリック・バルバロッサの侵攻を受け荒廃した。
AD 1176年、近隣都市との間でロンバルディア同盟を結成し、フレデリック・バルバロッサを撃ち破った。
AD 1277-1447年、
ヴィスコンティ家
による支配。
AD 1447-1450年、共和主義的な政権による支配。
AD 1450-1535年、
スフォルツァ家
による支配。
AD 1535-1713年、スペインによる支配。
AD 1713-1796年、オーストリアによる支配。
AD 1796-1814年、
フランス革命
を経て周囲と対立していたフランスによる支配。
AD 1815年、
フランス皇帝ナポレオンの没落
の後、オーストリアによる支配のもとに、ロンバルディア・
ヴェネツィア
王国が建設された。(
かつては海上帝国を築いたヴェネツィアは西暦1797年にナポレオンに屈服
し、そのナポレオンがヴェネツィアをオーストリアに譲渡していた。)
AD 1859年、ロンバルディアはサルディニア王国に割譲された。(そのサルディニア王国が後の統一イタリア王国の母体となった。)
AD 1861年、
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世国王の統治する統一イタリア王国
に統合された。
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