東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スノードンの山々と子羊たちの春

ウェールズ北部、イギリス (1999年5月)



11. カーナフォンの城 (ウェールズ北部、イギリス)

カーナフォンの城(ウェールズ北部、イギリス) セイオント川の河口の港を守るカーナフォン城(右の画像)が、どうしてイギリス王家にとって重要な城なのか ??

その理由は、歴代のイギリス王のお世継ぎは、このカーナフォン城でプリンス・オブ・ウェールズ(イギリス皇太子の称号)に叙任されてきたから。

イギリス皇太子が「プリンス・オブ・ウェールズ」として叙任される場所 「カーナフォン城」(ウェールズ北部)

話は中世のイギリスに遡る。当時のウェールズでは、侵攻してきたノルマン系のイングランドに対して、土着のケルト系の人々が抵抗していたんだ。

でも、ケルト系ウェールズ人の抵抗もむなしく、1282年にはイングランドに敗れ去った。その際、最後のケルト系ウェールズの君主リュウェリン・アプ・グリフィズが戦死してしまった。

その後、イングランド王エドワード1世の王妃エリナーが、カーナフォンの地で男の子(後のイングランド王エドワード2世)を産んだ。

王子の誕生を喜んだ父王エドワード1世は、生まれたばかりの我が子を、屈服させたばかりのウェールズの人々に見せ、「ウェールズに生まれたイングランド語を話すことの出来ないプリンスだ。」と紹介したんだ。

当初、王子は「プリンス・オブ・カーナフォン」と呼ばれていた。その後、1301年、カーナフォン城において王子は「プリンス・オブ・ウェールズ」に叙任された。それ以来、イギリスの皇太子の称号は「プリンス・オブ・ウェールズ」となったんだ。




皇太子叙任の円い舞台はスノードン産

カーナフォンの城で見たスレートの円盤(ウェールズ北部、イギリス) カーナフォン城の中には、スレート(薄い板状の粘板岩)で出来た円い舞台(右の画像の下部)がある。

この円い舞台の上でプリンス・オブ・ウェールズの叙任が行われる。あのチャールズ皇太子がこの円いスレートの上で叙任されたのは、1969年のことだった。

余談ながら、このスレートなんだけど、あのスノードンの山の特産品なんだ。

私達が乗ったスノードン山岳鉄道も、もともとはスレートを山から運び出すためのものだった。今じゃ村から観光客を山へ連れて行くためのものだけどね。

平和なカーナフォンの田園風景
(ウェールズ北部、イギリス)

カーナフォン城の城壁に登れば、むこうには平和な田園風景(下の画像)が広がっている。でも、古来よりここは戦いの地だったんだ。この地でケルト人が戦ってきたのは、古代ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人。

カーナフォンの城と田園風景(ウェールズ北部、イギリス)

最後にはノルマン系イングランドに征服されてしまったケルト系のウェールズ。その歴史は、アーサー王伝説の残るコーンウォールのケルト人に似ているよね。

コーンウォールではケルト系コーンウォール語が絶滅しちゃったんだけど、このウェールズではケルト系ウェールズ語が話されているんだ。

【参考】ホテル検索


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