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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ヨークの休日

イングランド北部(イギリス) 1997年6月


03a. 谷間の修道院 ファウンティンズ・アビー

谷に向かう小路を下っていくと、小さな建物の廃墟が見えてきた。

ゲスト・ハウスの跡 かつては、修道院のゲスト・ハウスとして使われていた建物だ。

様々な寄進を行っていたヨーク付近の貴族たちがここを訪れた際に宿泊していた建物なのかもしれない。

修道院の衰退と復興
  • 7世紀から8世紀にかけて、ヨークシャー地方には多くの修道院が設立された。

  • しかし、9世紀にヨークシャー付近を支配下に置いたデーン人(デーン地方出身のヴァイキングの一派)は、古来よりの独自の宗教を信じており、キリスト教の修道院を略奪・破壊してしまった。

  • 1066年にイングランドの王位を得た征服王ウィリアム1世は、臣従を拒んでいたヨーク近辺のデーン系(ヴァイキング系)貴族を打ち破り、その土地をノルマン系貴族たちに与えた。

    デーン人と同じくノルマンの血をひきながらも、長くフランス北部に定住していたノルマン人たちはキリスト教に対する信仰心が篤く、荒れ果てたヨークシャーの修道院の復興に貢献した。

壮大な修道院の廃墟

そして、壮大な修道院の廃墟に到着。これがファウンティンズ・アビーだ。かつては、たくさんの修道士達が祈りの生活を送っていた場所。

しかし、イングランド王ヘンリー8世によって泉の修道院(ファウンティンズ・アビー)が解散させられたのが 16世紀。今では廃墟となっている。

修道院の廃墟


ファウンティンズ・アビーの解散
  • 1539年、ファウンティンズ・アビーの修道院長ブラッドリー卿が、ヘンリー8世の発した修道院解散の書類に署名し、ここにファウンティンズ・アビーは歴史の幕を閉じた。

    ローマ法王と対立していたヘンリー8世にとっては、法王の側に立つ修道院が国内にあることが政治的に脅威となっており、また修道院の財産が魅力的でもあった。

    書類にサインした修道院長ブラッドリー卿は、王室からの年金を受け取ることになった。

  • 1540年、ファウンティンズ・アビーの土地・建物は、商人サー・リチャード・グレシャムに売却された。

    その息子サー・トマスは、修道院の土地・建物をステファン・プロクターに売却。

    ステファン・プロクターは、修道院の建物から多くの石材を運び出し、ファウンティン・ホールを建設した。

  • 現在、修道院の廃墟もファウンティン・ホールも周囲の庭園も、ナショナル・トラストが管理している。
(ヘンリー8世によって解散させられた修道院は多いが、このサイトに掲載されているものとしては、セント・オバンス修道院がある。興味のある方は、ココをクリック)。


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