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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

コーンウォール と デヴォン
(イギリス、1995年8月)


1995年8月27日(月)
08. ティンタジェル城 -1 (コーンウォール)
アーサー王の生誕の地 ??

さて、旅もいよいよ三日目だ。旅の前半のテーマはデヴォンとコーンウォールの風景が中心だったけど、後半のテーマはアーサー王伝説に移る。

天気は下り坂になってきた。青空は見えなくなった。でも、ある意味じゃ有り難くもある。「伝説」 ... って雰囲気が盛り上がるしね。

というわけで、アーサー王伝説ゆかりの場所へ出発 ... する前にアーサー王のことを予習しておこうか。

アーサー王の人物像

  • 歴史的に実在の人物か、それとも実在しなかったのか、議論が分かれている。複数の実在の人物をモデルとして作り上げられた英雄、とするのが平均的なところかな。

  • 5 世紀後半から 6 世紀にかけての人物。実在したとすれば、ということだけどね。つまりは、イタリアローマから発してここまで勢力を拡大してきた古代ローマ帝国の軍団が撤退した後の時代だ。

  • たぶん、現在のイギリス(ブリテン島)に住んでいた ... らしい。

  • ローマ化されたケルト系ブリトン人、あるいはケルト化したローマ人 ... だと言われる。

  • 侵入するアングロ・サクソン人と戦った ... とされている。

  • 英語のアーサー Arthur は、ラテン語では アルトリウス Artorius。その語源は、古ケルト語のアルトス Artos で、その意味は「熊」だという。

  • アーサー王の妃の名はグウィネヴィア。あるいは、ウェールズ語ではグウェンフィヴァル。その他、数々の呼び方が伝わっている。

アーサー王の生誕

(12世紀のジェフリー・オブ・モンマスが伝える話)
  • 昔のコーンウォールの領主ゴルロイスの妻であるイグレーヌ(あるいはイグライネ)は美貌を持って聞こえていた。

  • そのイグレーヌに横恋慕をしたのが、ブリトンの王ウーゼル(あるいはウーサー)・ペンドラゴン。

  • 王ペンドラゴンは、ゴルロイスの住むティンタジェル城を包囲した。しかし、ティンタジェル城を落とすことは出来なかった。

  • 魔法使いマーリンは、魔法を使って王ペンドラゴンをゴルロイスの姿に変えた。ペンドラゴン王はティンタジェル城内の美女イグレーヌの許に忍び込むことに成功した。

  • やがて生まれたのが、アーサーだった。

  • 魔法使いマーリンによって育てられたアーサーは、やがて王となってケルト人を率い、侵入するアングロ・サクソン人と戦いを続けた。

アーサー王の生誕の地 ?? ティンタジェル城

アーサー王の生誕の地との伝説も残るティンタジェル城への小道(コーンウォール) エクセターのホテルを出発して北西に約 60マイル(約 100km)。海辺の高台の駐車場で車を降りる。

海に向かって続く小路を 1km ほど歩けば、アーサー王の生誕の地との伝説も残るティンタジェル城だ。

右の画像の左側に小さく写っている細い道がある。あの道を登っていけば、ティンタジェル城の第一の砦に行くことが出来るらしい。

ティンタジェル城 第一の砦の廃墟

アーサー王の生誕の地との伝説も残るティンタジェル城の廃墟(コーンウォール) 細い山道を登りきったところには、二つの砦から成り立っているティンタジェル城の第一の砦の廃墟がある。

既に崩壊が進んでいる城跡に残っているのは、城壁・城砦の壁の一部だけだった。

でも、かなり規模の大きな城砦だったことは間違いないみたい。下にある画像は、第二の砦の上から撮影した第一の砦の全体像なんだけど、岩山の上に築かれた城砦の規模が伝わるでしょ。

アーサー王の生誕の地との伝説も残るティンタジェル城の第一の砦の遠望(コーンウォール)

ティンタジェル城では、まだ充分な発掘調査は行われていないんだ。だけど、現時点でわかっている限りでは、現在に残るティンタジェル城は13世紀のコーンウォール伯リチャード(イングランド王ヘンリー3世の弟)が築いたものだといわれている。じゃあ、ここにアーサー王ゆかりの城はなかったのかな ??

ティンタジェル城が築かれた時期はいつか ??
アーサー王とは関係が無いのか ??

12世紀の人ジェフリー・オブ・モンマスは、その著書の中で「ティンタジェル」という地名を使っている。古い言葉では「ティン」は城砦を意味するとの説もある。だとすれば、13世紀のコーンウォール伯リチャードによる築城以前にも、ここに城があったということだよね。

コーンウォール伯による13世紀の築城自体が謎を秘めている。当時のティンタジェルには戦略的な重要性は無かったみたいなんだけど、どうしてここに城を築く必要があったのか ?? 仮にティンタジェルがケルト系の人々にとって重要な場所(例えば、かつてのケルト王国の首都だったとか)だったとすれば、ここに城を築いたのはケルト系の人々に対する政治的な意味を持っていたと考えることが出来るよね。

ティンタジェル付近では、4世紀のローマ皇帝リキニウスの名を刻んだ石版が発見されているんだ。当時のコーンウォールは、古代ローマ帝国にとって重要な錫(青銅の原料)の供給地だった。また、ティンタジェル城の下では、古い港湾設備の遺構も発見されている。つまり、当時のティンタジェルは古代ローマ帝国にとって、重要な金属資源の産地・積出港だったかもしれないんだ。とすれば、古代ローマ人がティンタジェルに城を築いていたとしても不自然じゃないよね。

古代ローマ帝国の勢力がブリテン島から撤退した後、ケルト系ブリトン人が何らかの政治権力を継承したとすれば、古代ローマ時代からの要地を確保しようとするだろうね。このティンタジェルの土地もその一つなんじゃないかな。

ティンタジェル付近では、5世紀半ばから7世紀半ばにかけての地中海の陶器が発見されている。それらの陶器は、地中海東部のワインや北アフリカのオリーヴ・オイルを運ぶためのものだった。つまり、この辺りには、遠く地中海から高価な奢侈品を輸入することの出来る勢力があったわけだ。当時、アングロ・サクソン族の勢力はここまで及んでいなかったから、その豊かな勢力はケルト系ブリトン人だったはずだ。

というわけで、このティンタジェルにはアーサー王ゆかりの城はあった ... かも知れない。頼りない話だけど。でも、少なくともティンタジェルにはアーサー王ゆかりの城は無かったとは言い切れないよね。

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