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東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
スコットランド周遊
1994 年 8 月
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p. 18/19
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1994年8月19日
18. ハドリアヌスの城壁
今日でスコットランドとはお別れだ。朝早くホテルを出発し、イングランドに向かって南下する。
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今日の予定。まず、イングランドとスコットランドとの国境近くにあるハドリアヌスの城壁を見る。それから湖水地方にあるウィンダミア(正確にはボウネス・オン・ウィンダミア)のホテルに入る。
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エディンバラから南下し、やがてハドリアヌスの城壁(英語風には「ヘイドリアン・ウオール」)に到着。古代ローマ皇帝ハドリアヌスが築いた城壁だね。(ちなみに、この古代ローマ皇帝ハドリアヌスは、今もローマに残るパンテオンを再建した人物でもある。)
では、まずハドリアヌスの城壁近くの砦の遺跡(下の画像)を歩く。
城壁を防衛していた古代ローマの兵士達は、このような砦に駐屯していた。ハドリアヌスの城壁の付近には、このような砦の跡がいくつか残されている。
そして、下の画像がハドリアヌスの城壁(1987年に世界遺産に指定)。はるか彼方まで続いている。
ハドリアヌスの城壁
- この城壁の建設が始められたのは西暦 122 年だと言われている。帝国各地を巡回していた皇帝ハドリアヌスが、ブリテンを訪れた際に城壁の建設を指示したのだそうな。
- その 6 年後、総延長 73 マイル ( 117 km)の城壁が完成した。
- 古代ローマ帝国の栄えていた時代には、ハドリアヌスの城壁がブリテン島の東岸から西岸まで続いていた。
- かつて、この城壁は 6 m 以上の高さがあった。しかも、「蛮族」の住む北側は堀で守られ、南側には二重の土盛りがあった。
- しかし、 5 世紀初頭には古代ローマ帝国の力は衰え、ブリテンに駐屯していた軍団は撤退した。辺境の防衛はなおざりにされ、兵士達は消えていった。農家や教会を建てるために、ハドリアヌスの城壁の石も持ち去られてしまった。
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余談だけど、イタリアの首都ローマへ行けば、皇帝ハドリアヌスゆかりの場所を尋ねることが出来るよ。その筆頭が、ヴァティカンにあるサンタンジェロ城かな。そしてナヴォナ広場に面したパンテオンだね。
湖水地方へ
車に乗り込み、城壁の南側の道を西へ向かって走る。そして南へ。やがて湖水地方に到着。今日と明日の二日間は、ボウネス・オン・ウィンダミアという湖畔の町のホテルで過ごすことになっている。
1994年8月20日
特になし。
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(待たんかい ! 「特になし」っちゅうのは、どういうこっちゃ ?? )
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書くことがないんや。
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(ほやから、それはどういうこっちゃっちゅうてんねん !!)
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何処にも行かんかったし、なんもせんかったんや。ただ、散歩して、ウィスキーを飲んで、午後のお茶を飲んで、 .... それだけや。
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(ほな、何しに湖水地方まで行ったんや ??? )
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湖を見に行ったんや。誰もおらん朝の湖は、そりゃキレイやったでえ。(次のページへ)。
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